イスタンブールの街を歩いていて心地よいのは、人口構成の違いかな?
それをいうなら日本が偏っているのですが、日本を出るといつも感じます。

今回、穴場のような所も地図を頼りに一人で探して行く時間があったので、フツーの路地裏を通る機会も結構ありました。ガイド付きのツアーだったら、フリータイムでも「危ないから行っちゃいけません」ていうマニュアルに入ってるらしきエリアも歩いたようです。

もちろん、すごく危ない所にわざわざ出かける趣味はありませんが、怖がりすぎもどうかと思います。

行く前、トルコ料理屋のコヌックさんに、「トルコは危ないらしいですが・・・」というベタな質問をぶつけてみました。
すると
「大丈夫だよ。そんなこと言い出したら日本だって一緒だよ」と言われました。
その通りです。だって、そこで生活している人がいるんだものね。

いわゆるフツーの住宅地には、目抜き通りと違って、トルコらしい建物が並び、トルコ人ばかりがいて、違うものばかりに囲まれて落ち着かないんじゃないか、と思いがちですが、全く逆でとても心地よく歩きました。ダイナミックな感動はないけれど、旅が終わってふと思い出すのは、そういう景色だったりするから不思議です。客引きもいないし、旅行者もみかけないし、そこにはフツーがあるから、こちらもフツーでいられる、ということかもしれません。

トルコの路地は、どこへ行っても、子供と野良猫がいっぱいです。これが一番象徴的な感じがしました。

どちらも、昔の日本にはあって、今の日本にないものです。

しかも、野良猫が近寄って来ても嫌じゃない。

それは、自分家じゃないから、とかそういう身勝手じゃなくて、汚らしくないから。それどころかきれいなんですもの!
なんでかなぁ?と思って行き着いた答は、「健康だから」でした。
だから顔つきが悪くないし、毛並みもきれいで、日本のそこらの飼い猫よりよっぽど美しい。変に人間を嫌っても媚びてもなく、勝手に猫として生きてる感じがすごく自然でいいと思いました。当たり前のはずなんだけどね。

で、子供たちを見ると、全く同じことが言えるのです。
やはり大人たちを過剰に嫌ったり媚びたりする姿はあまり想像できません。

子供が親の監視なしで子供だけで子供らしく遊んでる。

ただ駆け回ってたり、おしゃべりしたりするだけなのに生き生きと楽しそうに。
一人でぼんやりしてる子も、仲間とじゃれてる子供たちもみんな無条件にいい顔をしていました。
路地裏には危険どころかキラキラがあったのです。

でも、これは誰かが考えて作ったものではありません。

トルコの人口のピラミッドは日本と全く反対で、ちゃんと土台が大きいピラミッドなのです。人口の半分が25歳以下ということなので、極端ではありますが、その問題は別にして、子供がたくさんいて、生き残っている人がだんだん減っていくっていうのは生き物として自然な姿。その中を長生きしている人には自然に大事にしたいという気持ちが湧いてきます。

最近「当たり前だ」っていう言葉が日本では通用しなくなってる気がするけど、当たり前ってすごい大事な気がします。もともと大事だから昔の人が当たり前って言ったんだよね、きっと。最近日本人はごちゃごちゃ理屈っぽくなってわかんなくなっちゃったんだ、きっと。

羊飼いの話(詳しくは7月の記事参照)みたいにみんなが混血になることはできないけど、当たり前を思い出すために、たまには日本の外に出てみることは大事かもねって思いました。
と、真面目そうに次の旅行の布石を打つKinko・・・だって遊ぶの楽しいも〜ん!