すっかりプレーヤーにはまっているこの頃です。

「おはなしコンサート」のおかげで最近の我が家は寝る前に素敵なひとときを送っています。
が、それに飽き足らず、とうとう夫が実家からビートルズとかのLPを持って帰ってきました。

実は私、ビートルズってまともに鑑賞したのこれが初めてだ。
クラッシックみたいなもので気づいた時にはどっかで聞いてたっていう存在でしたもの。
我が家の平成のCDプレ−ヤーにはきちんとスピーカーがついていて、右と左に離して設置しているというのに、この簡単なレコードプレーヤーから聞こえるレコードの音の方が厚みも深みもあるよ。
なんでだろう?

雑音って大事ってことなんだろうかなあ。

お正月に毎年やっている芸能人格付けで初心者用の楽器とストラディバリウスとを比較、とかやっているけど、あれも同じなんだろうな、って最近思う。

最近「Kinkoの音楽」のページに紹介したことさんの篠笛を聞いた時にも感じました。
この広がりは自然素材ならではなんだろうなあ、って。
つるんとしたプラスチックとかではありえない人の手では計算しきれない素材や時間の作るいろんな粒子が生む深みや広がりっていうか。

これは墨にも言えることで、最近の墨汁は大変よくできているので一般的なレベルでの使用ではまったく遜色なく便利に使えるけれども、作品で墨ならではの表現を追求する際に限界があります。

これは今進行形で格闘している作品で再認識しているところですが、やっぱり手で磨った墨には限りなくいろんなサイズの粒子が存在するんだな、これこそが魅力なんだな。と。

今ちょうどいい墨の表情がでなくてあれやこれや実験を重ねているところですが、失敗が続いて作業が面倒になって手抜きをすると案の定もっとひどい失敗になります。で最近も絶対墨汁では無理なんだ、というステップを発見したところです。
磨っても磨ってもうまくいかないからちょっと入れちゃえ〜っと魔がさして乾いてがっかりっていう・・・

んんんでもめげないぞ。
4月にグループ展が決まりました。
はっきりした締め切りがイメージされると気がしまりますね。
なんとか完成したいと思います。

書道家 金子祥代 Kinkoちゃん随筆
http://www.kinkochan.com/
長年古典で培った書の力をベースに現代に通じるアートの世界を展開中

「おはなしコンサート」(童音社)復刊にご協力ください。