Kinkoちゃん随筆

書に遊ぶKinkoちゃんの気ままな日常 ・・・現代アートから海外情報、最近なぜか少年隊まで⁈なブログ

墨の芸術

心のバックナンバー15:寄り道

15 寄り道

私とスポーツが結びつく方というのは少ないようです。

もっというなら書道以外で何かできるというだけで「えーっ?」と言われる始末。

でもどの種目も嫌いではなかったし、結構楽しめる程度には参加して、リレーの選手も何度かあったりします。バトンの受け渡しが怖くて応援している方が楽しいのに、と思っていたくちですけれど。

ところが一回だけ何のプレッシャーもなく気安く走ったことがありました。
小学校一年生のときです。
しかも紅白リレー。すなわち学年代表。
5クラスもあったというのに。
今でも自分がそんなに速かった記憶がないのですが、選ぶために体育館の中で何度も走らされた時の映像は頭に残っています。

そして当日の記憶も。
忘れようにも忘れられないレースでした。

私は赤組。大きい子と小さい子が交互に走っていくシステムだったらしく(この辺はあいまいです)赤組の大きい子から大差をつけてバトンを渡されました。

「バトンをもらったら走る」

生まれて初めてのリレーで、これしかインプットされていなかった私は走り始めました。

でもたった一人だし後ろの子はまだ走り出してもいません。

広いレーンをあっちこっち眺めながらとろとろ走り、後ろからくる白組代表、同じクラスの「しょう子ちゃん」をにこにこしながら振り返ったりしていました。

しょう子ちゃんは半周も後ろに小さく見えます。

私は気ままも気まま、何レーンも横切って蛇行している姿は応援席からどう見えていたのでしょう。

カーブに差し掛かったとき後ろから猛烈な勢いで走ってきたしょう子ちゃんの胸を突き出したフォームは今でも鮮やかに思い出されます。
白いはちまきをたなびかせ、私の1メートルいや2メートル内側を迷いなく走り抜けて行きました。

そこでようやくスイッチが入って追いかけましたがとても追いつくことはできませんでした。

上級生たちがあきれたり怒ったりしていた空気はなんとなく感じましたが、それが何なのかよくわからないまま終わってしまいました。家に帰ってからリレーの意味や私の失態の説明を聞きました。

残念ながら二度と紅白リレーに選ばれることはありませんでした。

その後のどんな運動会でもあんなにばかな動きをしている子は見たことがありません。

どれだけボーっとしていたかがうかがいしれます。
でも、ボーっとしていても普通の子はまっすぐ走るのだろうなあと思います。

そしてある日思ったのです。

今でも私変わってないな、と。

自分にしっかり戒めていないと横道に逸れてしまうくせ。考え事をしてしまって歩みが遅くなり余裕だったはずの電車を乗り過ごしてしまったことも数知れず。

美術の時間に一人だけまったく違うアプローチの絵を描いていたこともありました。
できあがり間際に周りを見て気がついて顔が真っ赤になってしまったっけ。

ボーっとしているというよりスイッチが故障気味なのかもしれませんね。

振り返ればそんなことばかりでした。
学校帰りの寄り道は毎日のこと。
旅先でも人生設計でも寄り道ばかりです。
事前の計画を入念にした時ですら、気がつくと違う道を歩いている自分。

時々心配してくれる人もいるけれど、そんな時に目にした風景の方が鮮明に生き生きと記憶に残っているから不思議です。
リレーでは大勢の人にひどい迷惑をかけてしまったけれど、やっぱり私にはかけがえのない経験になっています。

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心のバックナンバー14:手紙

14 手紙

最近便箋を買う時に困ることが多いです。

小さかったり、封筒に対して便箋の枚数が少なすぎたり。
だから、気に入ったデザインのものをすっきり買うことはほとんどできません。

パソコンの手紙が増えたということなのでしょうか。
でも、次々と新しいデザインがお店の棚を飾ると言うことは根強いファンもいるということなのでしょう。

手紙の魅力は、ひとつには封筒ひとつとっても、便箋ひとつとっても、インクの色から封緘、切手に至るまで、出す人の好みが表せるということでしょうか。

人となりが出てしまうということかもしれませんが、いずれにしても、ひとつとして同じ手紙はありません。

ポストを開けたときにチラっと見えたハガキの柄だけでパッと心が明るくなったことはありませんか?
疲れて帰ったからだの重さを忘れさせてくれるような一瞬が。

それにもまして最大の魅力は手書きの文字ですよね。
同じ人からでも急いでいたり、ゆっくりよく考えながら書いているなとわかったり、色々な姿が見えてきます。

手書きは嫌だからメールで済ませてしまう、という声もよく聞きます。
書道教室に通う人ですら多いのです。
それはみなさん「字が下手だから」という自信のなさからおっしゃいます。

「下手だから先生には出しにくいです」と言われることもあってとても残念に思います。

でも正直なところ、そういう意味では私自身も自分の字を見てがっかりすることが今でも度々。
まったく他人事ではありません。
なんだか自分という人間の悪いところを全部見せつけられているような気がするほどです。

ところがです。

手紙をいただいた時にはうれしい発見をすることばかりなのです。
これは本当に不思議なことですが、
初めて手紙をいただいた時に「あの方はこういう字を書かれるのか」と意外に思うことがけっこうあります。しかもそれはたいていうれしい発見なのです。

私は人一倍文字に何かを感じる方かもしれませんが
そこにネガティブなものを見ることはなく、その人の知らなかったよさに気づかされることが圧倒的に多いのです。

だから、下手だからと思い込んで手紙を出さないのはもったいないと思うのです。

そんな気持ちで気にしながら書いていること自体とってもかわいいと思いませんか?
上手いか下手かを気にするなら練習をすれば誰でも上手になることができます。これは自信を持って断言します。でも、ものすごく練習して同じお手本の字をいくら完璧に写すことができるようになった人ばかりの字を並べても、やっぱりどこか違いがでてしまうのです。

それがその人であり、個性ですよね。

上手いとか下手なんて気にせずに手紙を書いてみませんか。
メールみたいにすぐ返信がきたりしません。
メールよりたくさん時間がかかります。
力が入って手も痛くなるかもしれません。

でも、前に会った時の顔など思い浮かべながら、ゆっくり丁寧に書いてみましょう。
丁寧にたたんで丁寧に封をして。
それだけでも幸せな気分になると思います。

忙しい方こそ、ちょっと贅沢な時間を作ってみてはいかがでしょうか。

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心のバックナンバー13:アンティーク

13 アンティーク

皆さんの家は新築ですか?
新しい家は気持ちがいいですね。
私も建てたことはありませんが、できたばかりのマンションに住んだことが何度かあります。

でも、いつも慣れるのに時間がかかりました。

ある時テレビで見たホテルがあまりにも素敵で、名前もわからないのにインターネットで探し当てて太平洋の向こうまで泊まりに行ったことがあります。

そこはもともとはお金持ちの豪邸で代々住んでいた人の集めた家具や調度品がそのまま使われているのが特徴でした。
個人宅ですから、一般のホテルと違って壁の色からファブリックまで全て部屋ごとに違います。
私が通された部屋もテレビで見た華やかな部屋ではなく、全く印象が違ったので普通ならがっかりしそうなところですが、荷物を片付けるまでの間にすっかり気に入ってしまいました。
まるでずっと前からここにいたかのように落ち着いたのです。
一週間後の去りがたい気持ちといったらありませんでした。

あの包容力はいったい何だったのでしょう。

やはり部屋を彩っていたひとつひとつの骨董の力だと思うのです。

骨董というのはただ古いという意味ではありません。
よいものが次から次へと受け継がれ、その時々の持ち主が大切にして次に伝えてきたものを言うのだと聞いたことがあります。
しまいこむのではなく、愛でながら大切に使ったその結果今も生きている、その尊さも含めての魅力なのだそうです。
そう思えば、あの部屋が居心地がいいのはあたり前だったのです。

といって、生まれながらに良いものに囲まれてきたお嬢様ならいざ知らず、普段の生活の中で突然骨董に囲まれて暮らすなんて難しいですよね。
私にもとてもできません。
でも仕事がら硯だけは古い物を手に入れました。
もちろん大切に使っています。

不思議なもので、使い始めた日から机に向かったときの、いえ、稽古部屋自体への思いも、もっと言うなら書への思いに至るまで、なんだか変わった気がするのです。

墨を磨る時も自然に背筋がのびて心が静まるし、洗ったあとのしっとりした肌触りにはいつも幸せな気持ちにしてもらっています。(余談ですが、良い硯はしっとりと肌に吸い付くのです。選ぶ時も手のひらで触ってみるのですよ)

100円ショップで何でもそろう時代です。
私自身もっと若くて何も知らなかった時には、使えればいいじゃないか、とか、似たようなものだし、なんて言い訳をして、よいものを知ろうともしなかった頃がありました。

でも、これからは少しずつ、ずっとそばにいてほっとさせてくれるものとの出会いが増えたらいいなあと思っています。

骨董なんて高くて高くて絶対無理!なんて声も聞こえてきそうですね。

大丈夫。無理をおすすめしているのではありません。

今古くなくたって、とても気に入ったものに出会えたら大事に大事に使ってみませんか。あなたが未来の骨董品の初代オーナーになるかもしれませんよ!

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心のバックナンバー12:雨

12雨

雨   と聞いて何を連想されますか。

先日作品を扱っていただいているギャラリーに送った作品の中に一点「雨」と小さく一文字書いたものを入れました。
オーナーさんからは「とてもいい作品で気に入ったけれども、雨という題材で売れた実績がないので迷っている」との連絡をもらいました。
お客様の中にも雨というのはマイナスイメージとしてとらえられる方が多いようです。

ところが私は子供の頃から雨が大好き。

雨が降ると家中のカサを持ち出して全部広げ、家の前の道にひとかたまりにして並べては「カサの家」と言ってその中に入って楽しんでいました。

高校生の時も、駅から学校までいつもは自転車で通う道を雨の日はバスを使うのですが、時間を気にしなくていい下校の時はだれも誘わずわざと一人で、普通でも30分かかる距離をできるだけ遠回りしながら、わざわざ傘をさして歩いて駅に向かったりしていました。

もちろん濡れるのは好きではありません。車に泥をはねられてブルーになったことも数え切れず。
電車の中で傘の置き場に困ったこと、満員電車が蒸し風呂のようになったこと、何より歩くのが下手で人一倍パンツやスカートの裾に泥をはねては洗っていたこと。
たしかに考えてみればマイナスもいっぱいです。

ではなにがいいのだろう。

雨音。

朝起きたときに雨の音がして、音の中に心をひたしていた記憶。
すべての汚いものが見えなくなって、空気の中の塵もすべて洗われたようなとても落ち着いた気持ちになった記憶。

いつからか雨が降ってもあの音が聞こえなくなってしまったけれど、薄いガラス窓を通して聞こえてきた雨音の中での記憶が今でも蘇るのだと思います。

「カサの家」では屋根にあたる雨の音を、駅までの道でも、カサにあたる雨の音を楽しんでいたのです。

まだ運転し初めのころ、雨の中、車を走らせていた時にラジオからの初めて聞くメロディーに惹きつけられました。
なんて心地よい曲なのだろうと思って聴いていると、曲の終わりに紹介があって、カーペンターズの「Rainy days and Mondays」だとわかりました。

「雨の日と月曜日はなんて憂鬱なのって歌ってるだけの簡単な歌なんだよね・・・」とDJが笑っていましたが、私にはやっぱり心地よくて、今でも気がつくと口をついて歌っていたりします。

そしてこの曲が雨の日に聞くと格段にいいと思うのは私だけでしょうか。

忙しい日が続くと雨にうんざりされる方も多いでしょう。
私も最近、カサをさしながら、音など聞いていられないくらい先を急いで歩いている自分に気づきました。

今度雨が降ったら、その日は心をオフにしてゆっくり雨の音に耳を傾けたいと思っています。

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心のバックナンバー11:出会い

11出会い

今まで私はいろいろな「教える」を経験してきました。

書道教室だけでなく、サークルや会社での後輩指導もそうですし、家庭教師や塾講師など、個人レッスンから少人数クラス、何十人ものクラスまで内容も対象も様々でした。

その中で特に印象に残った生徒の一人にのりこちゃんがいます。
大学生の時に家庭教師をしていた小学生です。
他の大学に通っていた先輩の紹介で、まずはお母様とお会いすることになりました。
おすし屋さんのカウンターのようなところでお話した気がします。

のりこちゃんは病気で長いお休みをした後、授業についていくのが難しくなり、5年生の今は特別クラスに入ったり出たりをしているけれど、卒業までになんとかしてあげたいということでした。

私はお話を聞いている限り、問題のある子とは思わなかったので是非やらせていただこうと思いました。
お母様も私を大変気に入ってくださいました。
けれど、ひとつだけ躊躇されていました。

随分悲しい目にあってしまったために、なかなか素直になれない扱いにくい子になっているので塾や学校ではなく家庭教師を探していているけれど、手強いので絶対男の先生じゃないと無理だと。そう言ってあったはずなのになんで女の子を紹介したのかしら、と困っていました。

「今まで男の先生たちですら音を上げてすぐやめてしまったのだけれども、大丈夫でしょうか。
うちの子は難しいですよ」と。

聞けばのりこちゃんには大きいお兄さんが2人いるとのこと。お兄ちゃんのことも大好きなので男の先生の方が合っていると思っていたのだ、ともおっしゃいました。

その時ふと、私がのりこちゃんの年頃だった時のことを思い出して話してみました。
私は長女で女兄弟がいないので近所のお姉さんとお話ししてもらうのが大好きだったのです。

「もしかしたらのりこちゃんもそんな人を求めているかもしれませんよ」

お母様はまだ半信半疑でしたが、まずは一度会ってみることになりました。

女の子らしいことをしたことがないとのことだったので、あえて、その日は

「お姉さんと過ごす時間にしてみましょう」と提案しました。

教科書抜きで一緒にクッキーを焼いてみることにしたのです。

粉を量ることだけでも立派な算数ですから実は授業にもなって一石二鳥!

はたしてのりこちゃんにとって初めてのお菓子作りの日が来ました。

素直になれるように、お母様にはキッチンに入らないようにお願いして、最初から最後までのりこちゃんの手で作りました。

その時ののりこちゃんは私には普通のかわいい女の子。
お母様も楽しそうなのりこちゃんの様子に驚かれていました。

そして、次の週から卒業まで毎週2回、一緒に算数を勉強することになったのです。もちろん無事に中学生になりました。

10年ほどたってお母様から久々にお便りをいただきました。

「今のりこはオーストラリアに留学しています。先生と作ったクッキーがきっかけで調理の専門学校に入りお菓子作りの道に進んでいます。」と。

感激でした。

人との出会いは、時にわずらわしいこともあるけれど、たった一つの出来事が人生を変えることもあるのですね。

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心のバックナンバー10:美しい色

10 美しい色

身の代と遺す桜は薄住(うすず)みよ 千代に其の名を栄盛(さか)へ止むる

墨のような色だ、という表現を見てどう思われますか。

黒だから汚いもののように思ってしまう人も多いのではないでしょうか。

時々、教室にくる子供たちの中にも、墨=汚れ。
だから、家で書いてはいけません。
と言われてしまっている子供たちがいてかわいそうに思います。

たしかに子供が墨をこぼすことはあるかもしれないけれども、拭いてしまえば済むことです。子供だって一度やったらそうそうこぼしたりはしないものですが、イメージというのは怖いものです。

「家でも頑張ろう」

という気持ちの方がずっと大切な気がしますが、残念です。

さて、墨は本当に汚いのでしょうか。
ある時期アメリカでBlack is beautiful.というスローガンが流行ったことがありました。
人種問題のために生まれた表現でしたが、そもそも欧米で黒は色として認められていなかったようですね。だから、ものすごく斬新なコピーだったようです。

そもそも墨の色と黒は同じでしょうか。
本を読んでいても「墨を流したような雲」とか「漆のような黒」とか日本人は黒をひとつと捉えて来なかったのがわかります。

しかも、美しいものとして描かれることも多い。

長い間、黒髪は日本女性の美の代名詞でした。そして、様々な黒を認識して楽しんできたのは、私たちの豊かな文化だと思います。
黒への豊かな美意識が先なのか
墨の色を楽しむ経験が先なのかわかりませんが
墨の色の微妙な色にこだわるほどの感受性を持って来ました。

でも、もしかすると、今初めて

墨は一色じゃないの?

と疑問に思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。
そうです。
墨には様々な色があるのです。
彩墨という絵の具のように色をつけたものを除いて、黒と表現される一般的な墨だけでもそれぞれ違う色を持っているのです。

材料の差によって青っぽかったり茶色っぽかったりする大雑把な違いもありますが、青っぽい中にも年月によって、使い方によって様々な変化があり、それを楽しんできたのです。

同じ人が同じ条件で磨ったつもりでも別の日には同じ色にならなかったりもします。
難しいと思うか楽しいと思うかはそれぞれですが、無限の色が生まれるのです。

その色の違いがはっきりとわかるのは、水でうすめたときです。
これを淡墨と呼びます。
意外と耳慣れないという方も多く、薄墨ですよ、というと通じることが多いですが、薄墨と言うと不祝儀を連想して終わってしまう方もあるかもしれません。
試しにインターネットで検索してみたら某筆ペン会社の商品が並ぶばかりでがっかりしました。

それはさておき、冒頭の歌は1500年以上前継體天皇が自ら植えた桜に詠んだものです。岐阜県にある有名な桜ですが、それは散り際の花の色が淡い墨の色に似ているところから「淡墨桜」と呼ばれています。その美しさを一目見ようと開花シーズンには一日に8000人も訪れるそうです。
墨の色が美しいと思える感性を持ち続けたいですね。
―――その前に。
美しいものを見て美しいと思える心でありたいと思います。

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心のバックナンバー9:旅

9 旅

旅が好きです。
国内でも海外でもできるだけたくさん行きたいな、と思いますが
条件はスケジュールのない旅です。

国内なら、遠くに行かなくてもただお気に入りのホテルにこもるのでもいい。
海外旅行の場合も周遊ではなくて、お気に入りの街を決めたら、一箇所でのんびり過ごすのが私のスタイルです。

ホテルに着いたらまず、引き出しに服を入れるところから始まります。
ちょっとの間ここに住むという感じなのです。

ある時

「今までで一番幸せだった時間」

というのを考えてみたことがありました。
その時思い出したのはメキシコのホテルで庭に面した廊下のベンチに座って読書をしていた時のことでした。

そんなのは旅と呼ばないという人もいるかもしれません。

でも私にとって旅というのは、きっと白紙のスケジュールのことを言うのだと思います。

日常からの解放。
電話も手紙も来ない。約束も締め切りもない状態。知っている人もいなくて「私らしさ」からも解放されること。
わざわざ別の人格を演じるような疲れることはしませんが、私を知る人がいないところでは、だれも私を評価しないし、風景の一部としていい意味で無視してもらえる自由があります。

私の普段の生活も、ほとんど家の中で一人で過ごし、気が向いた時に気が向いただけ稽古をしたり、作品を作ったり、あるいは読書をしていることが多いのですが、日によっては家の片付けに終始したり、窓から外をながめたり、他の人から見たら自由そのもの、旅に出る必要なんてないじゃないかと言われそうなものですが、やっぱり旅に出たいなあと思いを馳せることがしばしばなのです。

帰ってきたときには、いい家だなあってホッとするのですけどね。

いくら自由に見えても生活の中には色々な決まりごとや気がかりはつきものです。
気が向かないから後でやろうと思っても、頭の中から完全に追い払うことなんてできません。そして、それが積もってくればもう完全にストレス。
ストレス、と気づけばまだいいですが、その手前の小さな塵が心をもやもやさせることも多いですよね。
本気で全部片付けようと思えば疲れてしまうし、やってもやらなくてもやっぱり大変です。

だから旅に出るのではないでしょうか。

「できない」状態になってしまえば、「やらなくちゃ」から解放されますから。

メキシコでの読書がなぜ幸せだったかと言えば、きっと、まったく純粋に楽しめたからだと思います。

風の肌触りだけを感じて純粋に。

本の内容の問題ではなくて、今どこにいるのかも、時間もすべて忘れてそこにいることを楽しむことができたのです。

なかなかこんなからっぽの状態は日常の中では作れません。

もし、疲れちゃったなあ、という方がいらしたら旅をおすすめします。
たくさんお金をかけたり遠くへ行く必要はありません。
ケータイを置いて一日ちょっと遠くまで散歩するだけでもいいのかもしれません。
いつも追いかけられているものから逃げて、からっぽになってみましょう。
思いっきり休んだ心はきっと何か新しいものにきづかせてくれると思います。
我が家がいつもより素敵に見えるだけでもちょっと幸せだと思いませんか?

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心のバックナンバー8:金色の筆

7 金色の筆

金色の筆を見たことがありますか?

どこが金色かって?
筆管(持つところ)を塗ったものは、もしかするとどこかにあるのかもしれませんが、毛の方が金色になった筆はお店で見ることはできません。

書道の筆はイタチや馬や熊、豚、鶏、孔雀・・・私が持っているだけでもいろんな動物の毛からできています。
一般的に習い始めの人は兼毫筆と言って、硬い毛と柔らかい毛が混ざった書きやすいものを使うことが多いです。お習字セットに入っているのもそのタイプです。
が、私が一番たくさん持っているのは羊の毛の筆です。
羊毛の筆の毛は、お店で売っているときは真っ白です。
先ほど並べた色々な動物の毛の中でも一番柔らかいタイプのもので、慣れないと使いにくいですが、とても表情のある線を生んでくれるので創作をする人たちには人気があります。

その真っ白な毛が、たくさん稽古をしていると硯や紙にこすれてぴかぴかになり、飴のような色に輝いてくるのです。
そうなるともう、とても使い易い私だけの素晴しい筆になっています。
おろし立ての新しい筆の持つクセがとれた素直な毛が、思った通りの素晴しい線を生んでくれ、とても頼りがいのある筆になります。

子供の頃、筆の根本がかたまってしまってボサボサになったことがある人も多いのでは?
そうすると書きにくいから次を買う。
買ったばかりの時は楽しいけれど、またボサボサになって嫌になってくる。
道具は大事にしなければいけないのはわかっているのに、面倒くさくなって、つい繰り返してしまう。
色んなところで起きている光景だと思います。

でも、私は運よく、子供の頃にいい先生に出会ったので、早くから羊毛に触れる機会をもらい「新しい筆より長く使い込んだ筆の方がいいのだから大事にしなくてはいけない」と、大事にしなければいけない理由を教わることができました。

羊毛の筆は他の筆より気をつかって根元まで洗わないといけないのですが、いい筆になる日を思って一所懸命洗い続けました。

そして実際に何回もぴかぴかの毛に感動をもらいました。

先日、教室のお弟子さんたちが初めての羊毛に悪戦苦闘しているので、全く同じタイプのものがぴかぴかになった私の筆を見せてあげました。

こうなったら書き易いのですよ、と。

みんな同じ筆には見えないと驚いていたのですが、そこにいた書道の先輩が一番驚いてしまいました。
同じタイプの筆を使っているのに。キャリアは私よりずっと長いのに。こんな風になったことがないというのです。
それには逆に私が驚き、自分があたり前にしてきたこともあたり前ではないのだな、と思いました。そして、ますますこの金色の筆は、やはりなかなか他では手に入らない大事なものに思われました。

古いだけではダメなのです。

たくさん使い込んで大事にしなくては。

これって、「自分」にも言えると思いませんか。
店先に並んだ筆みたいに、今の私はほかの人と同じように見えるけれど、そこについた値札ではわからない価値が大事にしていたら生まれるんじゃないかって。
きっと、ただ大事にしたらいいんだと思うのです。

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心のバックナンバー7:若い

8 若い

前回アンチエイジングについて書きましたが、私が書道を続けていたことで
ひとつ大きなメリットがあったと思います。2つかな。

ひとつは、いつまでも若いこと。

今でも色んな場面で「若いから楽しみね」とかいう言葉をかけていただきます。
あくまでも、書道関係者からですが。
というのも、書道界というのは年齢層が高いのです。
スポーツみたいに引退がありませんから、いつまでも皆さんチャレンジャーとして関わっています。

60代の先生方が若手働き盛りと呼ばれる世界ですから
確かに「そこで」私は若いのです。
でも、この勘違いは気分を若く保つのには便利ですよね。
もう遅い・・・なんて弱気にはなりにくいからです。

高校や大学のクラス会などをすると、ある時期から急にみんなの名刺に肩書きがつき始めました。
男子などは特に急に顔つきが締まってきたりして「大人になったんだなあ」と思わされたり。
女子も仕事を続けている人は同様に責任ある地位についている。

いつのまにかそんな年になったのか。と感じると同時に

私だけなんにもないなあ

とさびしい気持ちになったこともありました。
でもそれは一時期のこと。演じる役がないことは気楽だな、と思うようになりました。

そうなんです。役割は人を作るのです。いい意味でも悪い意味でも。

もし、今、仕事の役割が重く感じられる方がいらしたら、一度その荷物を降ろしてみることをおすすめします。
仕事を辞めなさいなんて言っているのではありませんよ!

習う側として、教える側として、私のスケジュールにはずっと書道教室がありました。
年齢も立場も違ういろんな人に会える場所です。
そこには色んな肩書きの方が集まっています。でも、そんなものは教室では関係ありません。
社長さんが一番新米で、一所懸命汗を書きながら一本線ばかり書いているのを、小学生が先輩として手助けしたりすることがあるのです。
そのときの社長さんは子供の顔です。
だから教室でお稽古している人、特に大人たちはみんな純粋に楽しそうだし、若々しいと思います。

もちろん書道でなくてもかまいません。
小さい頃に好きだったことや、やってみたいなあと思いながらやれないでいたこと。
そこに足を運んでみてはいかがでしょうか。
小学校にあがった頃、何もかもが新しくて一所懸命だったときの自分、そんな気分にかえってみるのはとても楽しいと思います。

資格をとろう!とかプロになろう!なんて意気込まずに、まずは純粋に楽しむことを思い出したいですね。そうしたら「重いなあ」と思っていた荷物も軽くなるかもしれないし、もしかしたら新しい背負い方をみつけるかもしれません。

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心のバックナンバー6:アンチエイジング

6 アンチエイジング

アンチエイジングという言葉が大流行です。
かくいう私も人の子。少しでも若くありたいと、パックをしたり、人並みに悪あがきをしています・・・。

でも、老いることって悪いことばかりなんでしょうか。

あるとき、初めて出た合宿で、高齢の先生が私の書いているところを通りかかって、反故の切れ端に「こうだよ」と一文字書いてくださいました。

その字の若くて生き生きと力強かったこと。

うまいとかなんとかいう表現ではなくて「やられたーっ!」と頭にガツンときました。

実力は追いつかなくても若さと元気だけは負けないと思っていた自信なんてどこかへ吹き飛び

今まで若さと思っていたものは
一体何なんだったのだろう
 と土台から揺すぶられました。

今でもあの感動は忘れられません。もちろん、ただの高齢者ではなくて、研鑽を積んだ一流の先生で、先生と言葉を交わせるようなご縁ができたのは、それからさらに何年もたってからという立派な先生だからこそなのは言うまでもありませんが。

好きな作家の展覧会、特に物故作家の展覧会で、その人の若いときから晩年までの作品がずらりと並ぶことがあります。
ある時、大好きな日本画家の作品が年代順に並べられているのを見ていてハッとしました。

60歳を越えたくらいの作品が一番若々しく、それからどんどん自由になっていくように感じたからです。

なんだか一般的にイメージされている「老い」とは全く反対の印象です。
その境地にあこがれを感じました。

私もこんな風になれるんだろうか。なりたい。と。

まだまだそんなに素晴しい作品は書けませんが
自分の人生を思ってみると今が一番楽しい。
20代の頃、こんな思いで今の年齢を生きていることは想像もできませんでした。
でも、あの頃の私より、今の私の方が毎日を楽しんでいるし
ちょっと短くなったのに、未来への希望も何倍も持っているのです。
これはどういうことでしょう。

自由だからだと思います。
それは、お金がたくさんあるとか、義務や責任がないとか言うことではありません。

心の自由です。

女だからこうしなくては、とか、もう何歳だからこれは無理とか、こんなことしたら笑われる、とか、20代の私が怖がっていたものが、今の私には全然ないのです。

これは年をとった開き直りと笑う人もいるかもしれないけれど、開き直りというのではない。
気にしないのではなくて、そんな考えが浮かんで来ないのですから。
それは、怖がっていたものが、実はどんなに実体のない、いい加減なものかがわかったからで、年を重ねたからこその経験則です。
今は、この先の自分がどうなっているのか楽しみでワクワクしています。

「年をとる」ということを怖がることはストレスです。

毎日の色が変わってしまいます。

そんなことより今をちょっとでも楽しみましょう。
楽しいのだったらアンチエイジングの何かだって毎日のイベントのひとつです。

どうしてもピンと来ない方は、元気な年上の方と一日でも早く出会えることをお祈りします。
百聞は一見にしかず。エネルギーや希望をいっぱいくれるはずです。

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