なんだかいまだに国際人=英語。
外国=アメリカ

って思ってますよね。日本人って。
いまだに、というよりも、より一層アメリカにむいちゃってるみたい。
ヒップホップ必修とかも含めて。

確かにいろんなところで英語を共通語としていろんな国の人と話せるのは便利ではある。「説明する」という機能性にはまあ優れている言語とも。

でも、それはあくまでも、手順を説明したり、ざっくり理解するには便利というだけにすぎません。どう考えても情緒面では物足りない言語だと痛感します。

中国語とスペイン語をかじっていますが、こみいったことはまだまだなレベルです。でも、彼らの話す音が耳に心地よいし、人柄にも影響している気がします。人柄が言葉になってる、が本当なのかもしれません。
フランス語圏の人やイタリア人とも同居しましたが、それぞれの言葉に魅力を感じています。
言葉は文化そのものだなあ、ともしみじみ感じます。

バルセロナでは、ある回の書のワークショップで和歌を書きました。
参加者はスペイン人とフランス人。
書く前にまず、和歌の内容を説明しなくてはなりません。
字も知らない初心者に31文字も書く大仕事をさせるモチベーションとしても、しっかり世界観を伝える必要があります。

いくら相手がスペイン人とフランス人でも、私が話せない以上仕方がないので英語メインのレッスンです。私が指導するのを知っていて参加希望した人たちなので、英語はわかる人たち主体なのですけれども、和歌の訳をするとなったら別次元です。だって現代日本語にだって完全には訳せないんだから。
それで、準備の時に、滞在中だったスコットランド人に相談したのです。
・・・が

火のように燃えたぎる恋心。
とか、
絶え間なく流れる水のような静かでも確かな愛
とか
そういう恋心を訳す単語は「う〜ん。ない!」
って言われちゃった・・・
強いて言うなら
I fell in love deeply.とか?とぬかす。
アホか。

これは英語そのものの問題ではなく、彼女という人間の経験不足から来るだけかもしれない。
彼女が来る前に滞在していたアメリカ人小説家ならもう少しはマシなことを言ったかもしれない。
でも、彼に俳句の訳を校正してもらった時も、
ああそうやっていうのか英語では〜。と英語の勉強にはなったけど、文学的な魅力は消えちゃうのね〜。状況説明だけで美しくもなんともない!
と拍子抜けしていたんだよね。

だから、まあ完璧な訳はできないけどしょうがないか。
イメージだけわかるように外側から説明していこう。
と、平安の姫様たちの絵巻の画像を見せながら、その時代の恋愛模様。
文字の、そして和歌の果たした役割。
っていうのを説明して、
いざ、本日作品化に挑戦する和歌の解説へ・・・

そ・し・た・ら〜

まあ簡単だったの。
ラテンのご婦人たちにはバッチリ伝わっちゃったのです。
で、みんな「あーーー英語では言えませんねえ。でも。私たちはわかります。フランス語でもいいますよ。炎のような思いとか。」
スペイン人たちもamorの話題にのりのり。

さすがラテン系。
感情の機微がわかるわかる。で、彼女たちの言葉で言われると、文法がわからない私にも「愛の言葉」の情感が伝わってくるんだな。ロマンチックでした。

で、ここまでコケにすると英語好きの方々は
シェークスピアを知らないのか!
って怒り出すと思います。
そりゃあ、私も津田塾なんで〜。
原語にも触れましたけどぉ。

そりゃまあ哲学的な部分とか、お話のぐいぐいひっぱる感じとか、
評価するところはたくさんあると思いますよ。
でもねえ。
今考えてみるとォ。
明治の先人の訳が素晴らしかったんじゃないのかなあ、と思うんです。
日本人がこれほどまでにシェークスピア文学を評価するようになったのには。
美しい訳だったんですよ。訳自体が芸術だった時代。

すんごい有名なセリフとかも英語の原文を知ると
さっぱりしてんな〜。
って思いません?
まあ昔ながらの正統派のイギリス英語の響きは確かに美しいから、我々が学校英語から想像する音よりははるかに美しかったんでしょうけどね、もともと。でも、シェークスピアみたいな古典的ないいまわし、現代英語ネイティブは使わないじゃん。

ましてや英語を話す人が世界中で増えると同時に下卑た現代アメリカ英語が広がっていくでしょう。
勉強と称してアメリカのテレビや映画を見る人が増えるし。
ほんっと残念だよ。
ま、アメリカ人の悪口はまた今度。

書家・美術家 金子祥代 Kinkoちゃん随筆 
http://www.kinkochan.com/
長年古典で培った書の力をベースに世界各地で現代アートの世界を展開中

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