今月は忙しかった。
どんだけ電車に乗ってどんだけ歩いたことか。

なのに太った気がするのは何故?

まあ、今はそれを気にしてる余裕もない。

んだけど、久々に一服することにして久々にこの「Kinkoちゃん随筆」を見てみたところ。

鍵事件から早や1か月。どころかそこからさらに2週間か。

それからはずいぶん出かける時に用心深くなりました。
でも、1万円くらいかかった鍵開け屋さんのお金は大家さん経由で戻ってきた。
案外素早い対応でした。あきらめていたお金だっただけになおさらうれしい。

それからそれから
ある日フェイスブックページに見知らぬ人からメッセージが届いていて、
読んでみたら
こないだ通りすがっただけなのに助けてくれたご近所さんのお嬢さんからでした。

あの日、お礼をちゃんと言うにもあまりにもつたない言葉しか言えないし、
お金を渡すのも変だし(というか絶対受け取らない人たちだと思う)、後日お礼に伺うにもどの程度お礼をしたものか全く判断できなかったし、
かと言って何もしないのも気持ちが済まないし、
でも缶ジュースとか缶ビールとかの買い置きもしていないので
さあ困った。と、鍵屋さんが作業している間ずっと
「うーーー何もない!」
と一人焦っていたのでした。

前回も書いた通り、鍵屋さんが終わりそうだなあ、という頃合いで皆さん引き上げちゃって、
違う意味でピーンチ!
すんでのところで待ってー!!
とジェスチャーしたら鍵屋さんが最後を歩いていたおじさんを呼んでくれて、
帰る鍵屋さんと入れ違いに、おじさんが階段を戻ってきてくれて
手持ちの最後だった「インクの魔法」2冊を無理やり渡したのでした。

でも、私のことを知っているわけでもなく、アートが好きかどうかもわからない人に
こんなのをあげても邪魔なだけかもしれない。むしろ失礼に感じちゃうかも。
あー、なんで何にもないかなー!よりによってお菓子のひとつもないなんて。

なんて一人何度も後悔に似た感覚に陥っており・・・。

ところが!
実はとっても喜んでくれていて、是非また会って話がしたいけれども言葉が通じないのでどうしたものかと
あちらはあちらで思ってくれていたんだとか。
それで英語のわかるお嬢さんに相談したところ、私のフェイスブックページをみつけてくれたそうなんです。
しかもたまたまお嬢さんは仏教の研究をしている親日家。
今では「インクの魔法」はお嬢さんのお気に入りになっているそうです。
うれしい。ほっとした。。。

スペイン語訳を一緒に渡せなかったのだけが悔やまれます。

ただ、本当に実感しているのは、
日本ではほとんど物語の感想しか聞くことがないのに、
海外では作品メインでartbookとして反応されること。
きちんと物語が読める人たちでもです。
余白を含め、本の構成全体で作品ととらえてくれることが多く、報われる気持ち。

とはいえ最近ひとつだけ日本人の反応に対して
自分の中で修正したことがあります。
出版当初、「字が小さくてなあ・・・」と苦情を言う人が書道関係の人ばかりで、
余白優先した結果なのになんで書のわかるはずの人たちがわかんないんだ!!!
と非常に憤慨したのですが、
今になって思うと、圧倒的にその人たちの平均年齢が高かった、、、という事実。
老眼でも読もうとしてくれたことにむしろ感謝せねばと反省しています。
みなさま有難うございました。

書家・美術家 金子祥代 Kinkoちゃん随筆 
http://www.kinkochan.com/
長年古典で培った書の力をベースに世界各地で現代アートの世界を展開中

「おはなしコンサート」(童音社)復刊にご協力ください。