Kinkoちゃん随筆

書に遊ぶKinkoちゃんの気ままな日常 ・・・現代アートから海外情報、最近なぜか少年隊まで⁈なブログ

2021年05月

心のバックナンバー31:紅

紅1

紅の文字を見ると思いだす色があります。
赤でも朱でも紅梅の花の色でも紅花の作る色でもなく、それは透き通ったオレンジ色でした。

私は結局大学にもなんとなく行ったし、今でも勉強は好きですが、勉強の事始め、小学校1年生の時は勉強どころか授業が何をするものかもわからずに椅子に座っていました。
椅子に座っていられればまだまし。
たまらなくなった揚げ句にとうとう頭が痛くなってきて保健室に行かせてもらったこともしばしば。

勇気をふりしぼって教壇に行き
「頭が痛い・・・」
と言うと、無造作な短髪で化粧っけのない、いつも体操着のような服の女の先生が
「また?」
と怖い顔。
そしてまた次のジュギョウが苦行になるのでした。

もちろん生まれて初めてもらった通知表といえば、中身は全く覚えていません(通知票がなんだかわからなかったからです)。
ただ両親が額を寄せてぼそぼそ落胆の声で話し合っていた光景をはっきりと覚えています。
 
それが化けたのが翌年。
新しい担任の先生は大学を出たばかりの女の先生でした。
髪にはきれいにパーマがかかり、毎日ブラウスにひらりとしたスカートをはいたおしゃれな先生が私は一目で好きになりました。
どの子に対してもわけへだてなく接してくれた人柄に加え、振り返れば授業も上手だったのだと思います。

でも、何より私の目を捉えたのが先生のお化粧でした。

PTAのお母さんたちからは「化粧が濃い」なんてひがんだ声が聞こえたりしましたが、幼い私は授業の間中うっとりとしていたのでした。

もっと正確に言うと、先生の頬に乗った美しいオレンジを見ていたのです。

その色はどこから始まったのかわからないようにふわりと乗っていて、しかも白い肌が透けて見えるようなのでした。
それが美しくて不思議でずっと目で追ってしまうのです。

色をつけるといったらクレヨンか水彩絵の具しか知らない子供には「どうしたらあんな色の塗り方ができるのだろう?」と不思議で仕方がないのです。

その話をした時「あれは頬紅というのだ」と教えられ「べに」という言葉と出会いました。

その美しい頬紅のおかげで、気づけば生まれて初めての皆勤を達成。
通知表は「オール『大変よくできました』」。なんという変化でしょう!

メイクアップでいかに「自分」を美しく「見せるか」。

コンプレックスを隠すテクニックを研究している女性が今ほど多い時代はないでしょう。
でも私が「お化粧」ということを思う時
思い出すのは先生にみとれていた幼い私。

「見る人」にとって意味がある、と思わずにいられないのです。

★今回の書作品:「紅」

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心のバックナンバー30:「異なもの」2

29 異なもの

メキシコシティでの個展の開催中にギャラリー近くの公園で揮毫パフォーマンスを頼まれた時のこと。

屋外ということで温度はともかく雨について事前に主催者に問い合わせたところ

「1月はここでは雨は降らないよ。心配ない。」

とのことでした。neverという強い表現できっぱり言われたこともあり、彼の言葉を信じることにしました。げんを担いで今回の旅は折りたたみ傘をスーツケースに入れるのもやめました。

果たしてパフォーマンス当日は素晴らしく晴れ上がった青空のもと、風を感じながら気持ちよく作品を書くことができました。
メキシコシティに着いて1週間目にことでしたが、それまで一日も雨の気配なく、ああメキシコシティの1月は本当に雨が降らないのだな、と思っていました。

ところが。

夕方、パフォーマンスの片付けも終わって部屋にいると、みるみるあたりが暗くなり、激しい雨が降り始めました。風も強くなって雷も鳴り、嵐と呼ぶにふさわしい晩になりました。

ああ半日遅れてくれてよかったなあ、という気持ちでいっぱいになり、傘を持ってきたりしていたら降っていたかもしれないなあと、げんを担いだのがよかった、なんてのんきに思っていたのです。

その後メキシコシティには1カ月ほど滞在しました。

そしてその間に何度傘をもってくればよかったと思ったかしれません。
買い物の帰りに突然降られてウールのストールを頭からかぶってしのいだり、広いチャペルテペック公園の中で降られて木の下で雨宿りをしたり。

そして人に会うたびに、「メキシコシティでは1月は雨が降らないと聞いたけど」と話すようになりました。

すると、大抵「うそうそ。この時期は毎年こうなのよ。
天気が読めないからloco(英語でcrazy)って言われてるわ」と言われてしまいました。

でも、そうすると最初に教えてくれたneverは嘘だったの?
あんなに自信を持って言われたのに。私を安心させるためだったのかな。嘘とは思いたくないな、という気持ちも強くなります。

そしてさらに何日かしてようやくわかりました。

女性に話すと「この時期はいつもこう。」と言われるのに

男性に話すと「降らないよ。今年は変だなあ」と言われていたのです。例外なく。

男の人と女の人がこんなにも物の捉え方が違うということにいまさらながら驚かされたのでした。

この違いはメキシコだけでしょうか。
日本でも何かおもしろい事例がないかな、とちょっと興味が湧いています。

本当にエキゾチックな空間の中、ホッと自分のままでいられる国メキシコ。
旅の計画をされている方には是非おすすめです。
でも、メキシコシティに行かれる際はくれぐれも傘をお忘れなく。banner-kokoro

★今回の書作は古代文字の「女」:座る女性の姿

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心のバックナンバー29:「異なもの」1

28 異なもの

メキシコというと何を思い浮かべますか。

タコス?ソンブレロ?それともカンクンなどのビーチリゾートでしょうか。

時差が夏には14時間、冬だと15時間もあることからも遠いというのがわかります。

でもテオティワカンなどのピラミッドやルチャリブレやコロナビールなど実は知っていることはたくさんあるのですよね。
案外知られていないところでは長い間日本では塩田による塩の生産が禁止されていたため、「伯方の塩」とか「赤穂の塩」といった本格的な塩はメキシコからの輸入品だったわけで、日本人の健康の深い深いところでもお世話になっています。

メキシコに行くと、すらりとした白人からずんぐりした色黒の人、はたまた混血の美形やらいかにも力持ちの恰幅のいい男女とどれがメキシコ人と一言でくくれない色々なタイプの人が歩いていて、いかにも外国に来たな、と感じさせてくれます。

でもなんとメキシコ人の多くに蒙古班があると言ったらどう思われますか?

実は遠い遠い昔アジアから渡っていったモンゴロイドがメキシコ人の先祖なのでスペイン人が行く前の血を濃く残している人たちはとても私たちと似た姿をしているのです。

姿だけではありません。
料理は手間をかけてしっかり作って楽しむことや、刺繍や織物などの細かい手工芸が得意なことなど似ていることはたくさんあります。
なんといっても至るところで清掃の人がせっせとお掃除をしている姿を見かけるのは日本以上です。

また、陶器などは中国から渡った技術でもあり、古いものは全く輸入品かと思うほどに似ています。

もっと驚くのは博物館。そこにある古代の土偶や器は日本の博物館にいたかと錯覚するほどに似ているのです。私は中国の色々な美術館や博物館に行きましたが、いつも「なるほど影響を受けているなあ」とは思うものの「大陸は違うのだなあ」と違いの方が印象に残ることが多かったのですが、メキシコでは逆で、こんなに遠くで風土も違うのにどうしてこんなに似ているのだろうと思うことの方が多いのです。banner-kokoro
さてそのメキシコでおもしろいことがありました。(つづく)

★今回の書はタイトルではなく古代文字で「男」:田と力(鋤の形)
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心のバックナンバー28:風

27 風

風という字は人気があるようです。
書道のサークルの展覧会などに行くと必ず書いている人がいます。
漢詩の中にも出てきますから、お勉強の中でも書く機会は随分あり、何度も字書で字形も調べて工夫しました。

でも、私の中では長い間「難しい字」、できれば避けたい字の一つでした。

難しくなかったとしても、みんなが書く字は書きたくない性分ですからわざわざ自分から書くことはなかったのです。

が、ある時、
「みんなが書くなら書けるようにはなっておかないと!
『書かない』ならいいけれども『書けない』では嫌だなあ」と思い、敢えて「風」の一文字作品に取り組んだことがありました。
有名な先生方の作品集には素敵な作品がいっぱいあって、私の風も作りたいなあと。

しかし書けないのです。毎日100種類作ろう!と取り組んでみたりもしましたがやっぱり書けません。
ちょっといいなと思っても、次の日に見たらどうにも嫌な気分になる作品ばかりなのです。
あんまり書けないのでいい加減なんでこんな字を書かなきゃいけないんだ!と放りだしてしまいました。

しばらくしてから挑戦してもまた挫折。
また放り出してしばらくたったら挑戦してまた挫折。

もうやめようかなあ、と思っていた時、ふと、風って何なのかなあ、と思いました。

風。
風なんて洗濯物は速く乾くかもしれないけど、強すぎたら外に干せないし、髪の毛をきれいにセットした日に限って乱されるし、地下鉄の階段ではスカートをまくってしまうし、傘をダメにされたこともあるし、傘がベランダから飛んでいってしまったこともあるなあ。
夜中にゴウゴウ鳴ったら眠れないし、スキマ風は寒いし。
寒くなくたって春や夏の風も本のページをめくってしまったりメモが飛んでしまったり、目にホコリがはいることもあるし。
あー嫌い。どうしてみんな「風」なんて飾りたがるの?

風、風、風。 風って何なの?

今度は毎日毎日頭の中に「風って何?」がこだまします。

風って何なのでしょう。

「風を感じる」とか「風を入れる」「風が薫る」
こんな時の風は髪の毛を乱したりしない気がします。

どうして髪が乱れないのかな。

風。風が吹いていないから。少なくとも「風を感じる」とか「風を入れる」とかいう時には風は動いていなくてもいいのです。

止まっているわけではないけれども目に見えるほど動いている必要はないのです。
澱んでいない新しい空気。
そんな空気を気持ちよく感じることができる自分の状態。
気づくことのできる自分。そんなことが気持ちよいのかもしれません。

それに気がついた時、ああ、風か。
風を感じられる今日はシアワセだな。
風を感じられる暮らしがしたいな、そんな風に思いました。

そしてほんの少し、ほんの一歩足を動かしただけでも空気は少し動くのだ。そんなことも。

そんなことを思う時、あたりの空気は明るく感じられます。

だからみんな「風」が好きなのか。
すごいなあ、みんな知っていたんだ。そんなことに驚いたりしました。

そして遅ればせながら風が好きになった私は、少しシアワセになった気がしました。

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心のバックナンバー27:ダイエット

26 ダイエット

自分に自信が持てないと色々つけて自分を守ってしまいますよね。
捨ててもよいものと残すべきものを見極める力が必要です。

ダイエット書道!なんてあったら生徒さんが集まるんじゃないですか?」

なんて、おしゃべりの中で言われたことがありました。

おっしゃった方は冗談のつもりでも、実際真剣に条幅作品を書き始めれば冗談ではないのがわかります。

半切のサイズまでなら小学校の頃から体験していましたが、大学時代にいよいよ錬成会なるものに参加をしました。展覧会に出品する書道会では年に何回か実施される合宿のようなものです。その時に師匠に言われたのが、

「他の人のお尻の動きを見なさい。」でした。

一般に書の作品は「正座をして背筋をのばして息を止めて書く。」とイメージされる方が多いのですが、写経か何かのイメージでしょうか。

「作品」を作るには「線の質」がよくならないと駄目なのです。
それには紙に筆が触れていないところも含めた筆の動きがとても大事になってきます。
ですから、仮名の字を書くだけでも使っているのは指ではなくて、腕であり、腰であり結局全身なのです。
大字を書くなら尚のこと。
全身を使って書かなくては動きが足りませんから、スクワットをしながら歩いているようなものです。
しかもリズムも作品に表れますからダンスととても近いものを感じます。

慣れるまではきついし、字の形にとらわれるとついつい小手先にばかり注意が行くので、何度

「お尻が下がってる!」

と檄を飛ばされたかわかりません。
そして、わずか3日の錬成会が終わった時には、生まれて初めてお尻の下が筋肉痛になっていました。

この話をするとなかなか信じてもらえないのですが、大字を主に書く書道家さんたちはスクワットを日課にしている人もいます。
最近はドラマや映画でも高校生の書道部がスクワットをしているシーンがあったりしますからご覧になっている方もあるかもしれませんが、本当のことなのです。

結局冒頭の案は私の容姿に説得力がないのでボツになっていますが・・・。

書の作品そのものを鑑賞していても、作品そのものがダイエットしなくてはいけないなあ、と痛感してしまいます。
巨匠の作品を見ていると、一人の作家でも色々な時代があるのがわかりますが、共通する流れも感じます。

若い時には色々やってみて、付け足すことや大きな冒険をしてとてもエネルギッシュなのに、そのピークを超えると今度はどんどんシンプルになっていくということです。

線の力を味方にして一本の線が多くを語るというか。

造形がどんどん洗練されて行き、余白に対して黒の面積が減って行くのに弱くない。
無に近いほど無限のパワーがあふれてくるかのようです。

あばれるよりも強い何かがどこかから伝わってくるのは何故でしょう。

これは書だけではなく絵画を見ていても感じることですが、誰にでも簡単にかけそうな単純な作品がずっと心に残っていることが多くあります。

減らすというのは簡単なことではありません。
ファッションでも、自分を知り、怖がらずに何でも試してみなくては始まりません。
今持っているものだけで引き算ばっかり考えていてはやる気も続きませんもの。
まずは栄養、栄養!やっぱりダイエット講座はまだ無理のようです。

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心のバックナンバー26:タイムトラベル

25 タイムトラベル

私は子供と写真を撮るのが嫌いです。なぜなら・・・・・・・・老けるから。

まさか子供たちと年をはりあっているのではありません。
でも、どうしても子供たちと接する時には責任感が伴って、保護者の顔になってしまうようで普段より老けた顔に写るのです。

だから生徒たちの写真はかわいくてついつい撮ってしまうし、一緒に撮ろう!と盛り上がるのだけれど、後でがっかり。
いい写真だけどこの顔は嫌い。
年をとることが嫌なのではなくて妙に大人顔になっている自分が嫌なのです。
大人の責任は大事だけど気分はいつも子供たちと同じ方を向いているつもりでいるから。

それに対して同窓会の写真は大好き。あの頃よりみんな年をとっているけれど、みんなの気持ちがあの頃に帰っているのがわかるから。
地元で写真屋を継いで、同窓会当日も大活躍してくれたカメラマンが言いました。

「最初は誰だかわかんない人が多かったんだけどさあ、
笑うとわかるんだよ。」と。

みんな10代の時の顔に戻って笑っているのです。

私の少女時代はSFが大ブームでした。
「タイムトラベラー」なるドラマのノベライズ本を近所のあこがれのお姉さんに借りた時は初めて知った「タイムトラベル」という言葉と概念にどんなに胸が高鳴ったでしょう。
その頃のSFはとても質が高くて、タイムトラベルをむやみにしてはいけないこと。行った先でその時代に影響を与えてはいけないこと。などとても真面目に、ある種の寂しさをともなって表現されることが多かったように思います。

そっと見るだけ。

でも、たったそれでも憧れの気持ちがどんなだったか。
「タイムトラベラー」はNHK少年ドラマシリーズの初期の名作で、あまりの人気にノベライズされたそうですが、私が知ってから再放送されることはありませんでした。
挿入されていた写真を見て想像するしかなく、いつか放送されないかなあと思うことしかできませんでした。
随分たって、現在NHKは多くの過去の作品をDVDやHPで見られるようになりました。
少年ドラマシリーズのDVDを知ったときには飛びつきましたが「タイムトラベラー」は古すぎてほとんど映像がなく、音だけのラジオドラマのような状態。
それでも何十年もたって初めて見た「動いている」ケンソゴルと和子には子供の心にもどって感激しました。

そう。まるでその時代に帰ったみたいに。

お姉さんから本を見せてもらった時の情景や、ドキドキしながらページをめくった気持ちがそのままよみがえったのです。

タイムトラベルしてみたかったっけ。

でも、今、これってタイムトラベルじゃない?

超能力を持ったり、ラベンダーの温室に行ったりしなくても。ドラえもんがいなくたって、たった一つの何か。誰かからの手紙。あの頃の音楽。それがタイムマシンになってる!
「なつかしい」ではなく、もっとはっきりある瞬間に帰れるスイッチ。

実際に機械を発明する必要なんてないのだな
と最近思うのです。

こんな風に思うことは過去の思い出ばかり振り返っている頃にはありませんでした。
後悔ばかりで、「あの時に帰れたら」と思ってばかりいた時には。

未来だけを見て毎日を一所懸命過ごしている時、その谷間に思いがけず時間旅行は訪れます。そんな時、なつかしんでいるのではなく、本当にそこにいる私を感じるのです。

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心のバックナンバー25:雲の向こう

24 雲の向こう

先日ある中学3年生が
「先生。日本って第二次世界大戦にカンケーあるの?
と聞いてきました。もうびっくり仰天。
その場にいた大人が絵に書いたようにみんな口をあんぐり。

すると「えー。カンケーあんのぉ?もうウチとこの社会のセンセ最低や。わかれへん。」と。

いくら戦後ずいぶんたったとはいえ、夏になれば嫌というほど戦争関係のドラマやドキュメンタリーが放送されます。広島、長崎は関西の子にとっては随分近い場所。
教科書でまだ出てきていなくても日本人なら知っていて当たり前ではないか!
彼女をとりまく日常会話に全く戦争が出てこなかったということに愕然。
これも恐ろしい現実だと思いました。

この「伝えていないこと」の恐ろしさはきちんと大人が考えてクリアしなくてはいけないことですが、この話題から、私が中学1年の時の夏を思い出しました。

夏休みの自由研究として、二人の祖父の戦争体験を聞きに行ってレポートにまとめたのです。

一人の祖父は職人だったために工場に集められ、生活は大変でも戦地に行くことはありませんでした。

もう一人の祖父は第二次大戦ではすでに年齢が高くて出兵しなかったためにそれ以前の体験を主に聞きました。
戦争の話は滅多なことでは口にしたがらないという祖父が話してくれた外地での体験は、それはそれは悲惨なものでした。
それでも多感な年頃の孫娘に聞かせるにはしのびなく、随分ふせたことも多かったと後で聞きました。

この時から「おじいさん(私はおじいちゃんという呼び名を使いませんでした)」というだけの存在だった二人の向こうに人生を積み重ねた「人物」を見るようになったのも覚えています。

レポートはその名もズバリ「戦争」というタイトルをつけて提出しました。

そして、その年の秋。
文化祭での学年の催しのテーマに提案したところ、私たち1年生は戦争について研究発表することに決まりました。
戦時下の食事を再現したり、歴史をまとめたり、クラスごとの分担をする中、私のクラスは「地域の老人に会いに行って戦争体験を直接聞こう」というテーマにしました。
学校の外で班ごとに活動するというのは危険も伴い学校の規則にも関わるため、まずは「担任と戦う」という一幕がありましたが、みんなで乗り越え、一丸となって発表までこぎつけました。

結果、実にバラエティに富んだ、想像をはるかに超えた実話の数々は、とても力のあるレポートで多くの人をひきつけました。
模造紙にレポートを清書していた時、通りかかった校長先生がとても喜んで自分の体験を話してくれたのもいい思い出です。遠い存在だった校長先生と直接話ができた感動とともに、内容の強さから、即採用してレポートに書き加えたりもしました。

取材の中で印象的だったのは、話の内容は平和な時代しか知らない中学生にとってはドラマよりも衝撃的で悲惨で胸が痛むことが多かったという事実に反し、それを話してくださる方々が生き生きと嬉しそうに話してくれる光景でした。

もちろん困難と戦っている最中の方に安易なことは言えません。
それは苦しいはずです。どのくらいかかるのかもそれぞれですし、終わりの見えない戦いは苦しいはずです。
でも、多くの人にとって、乗り越えてきた厳しい体験は笑い話になるということなのです。

思えば神戸に引っ越してきた後、被災の話になると「大変だったわぁ。」といいながら近所の奥様方が盛り上がっていたっけ。
案外皆さんの周りでもないですか?
「あれは大変だったなぁ。」と笑いあっている光景。乗り越えさえすれば・・・・。

この原稿を書き始めた時、3月11日の出来事がありました。(東日本大震災)
軽々しく何かを言うなんてできませんでした。

阪神大震災を振り返っても10年以上もの間、区画整理の答が出ずに家に帰れない人もいました。
先ほど話題にした戦争ですら、今でも日本人に影響が残っています。

でも、人間は強いはずです。
いつか笑って振り返れる日が来ることを心から願っています。

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心のバックナンバー24:いまどきの

23 今どきの

しばらく朝の連続小説にはさっぱり興味が湧かなかったのが、「ゲゲゲの女房」は毎日見てしまいました。
別に朝8時に変更になったからではなくて、のんびり明るい雰囲気がわざとらしくなく爽やかで、実話だけに説得力もあってついつい次を待ってしまいます。

辛いことの連続なのにグッと受け入れるシゲルさん。
ここぞの時には一本の手で相手を突き飛ばしてでも筋を通す。無愛想なのに愛情が伝わってくる姿。

現代劇特有の神経質なギスギス感が全くなくて、無理やりひきつけるための目をそむけたくなるような過激なシーンが入ることもない。
最近はやりの昭和が舞台だからでしょうか。

平成に入って随分たち、いつの間にか昭和生まれが昔の人扱いになっています。大正や明治生まれになんてなかなか会えなくなってしまいました。
昭和レトロだとか、人情味のあるいい時代とか、いつの間にかとってもいい時代としてひきあいに出されることの多い昭和。

でも、シゲルさんの時代、漫画を読むなんていう若者は

「まったく今の若いやつは漫画みたいなもん読んで」

と言われていたのです。

そしてそのシゲルさんの描いた鬼太郎がテレビに流れる頃、世間では髪の長い若者が胡散臭く扱われ、

テレビの鬼太郎で育った私たちが大人の入り口に差し掛かった頃、
新人類と呼ばれ、理解不能な世代と言われました。

今に至っては少年少女が何かおかしなことをすると「今どきの子だからしょうがない」とつきはなされるようになっています。

少しずつ呼び方や接し方が変わっても「若いもん」が大人から貶されるのはいつの時代にも起きることなのです。

「いまどきの若いもん」を飛ばして大人になる人なんていないのです。

遠くさかのぼればソクラテスが「今どきの若いもんは」と嘆いた記録が残っているくらいですものね。人類は自分の失敗を忘れる生き物なのでしょう。

私の人生の前半は昭和だけれど、あの頃、昭和がそんないい時代だなどと思わなかった。
それが大人が振り返り始めると甘酸っぱい時代に変身するのですね。

シゲルさんとシゲルさんの女房の繰り広げる物語に魅力があるのは昭和だからではなくて、人柄のおかげだと思います。

職場でもあるのではないでしょうか。
たまたま若い人が失敗すると「今どきの若いもんは」と一言で片付けられてしまうこと。
悔しいですよね。
若い側もそうでない側も世代でくくるなんて意味がないのに。

どうか若い人は、嫌なことがあった時に時代のせいとか、大人を恨むとかしないでください。
「どんな若いもんだったのだろうなあ、この人は」なんて思うようになったら楽しいですね。

大人は「今どきの若いもん」を個別に観察してください。
悲しい習性のせいで小さい可能性がつぶれてしまわないように。

生まれてくる時代を選ぶことなんてできないのだから。

なんてえらそうなことを言いながら、平成のアニメ鬼太郎のハイテンポでからりと明るい戦闘ものみたいになったのに落胆し、ひたすら暗くてじんわり怖い中にユーモアと正義を感じさせてくれたあの鬼太郎を愛する昭和生まれです。

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心のバックナンバー23:沈黙の王

30 沈黙の王

占いの話が続きましたので、文字の誕生のお話をしたいと思います。

殷の時代。
もちろん紀元0年よりずーっと前の時代、中国にはすでに強大な力をもった国家が誕生していました。

その国家では政(まつりごと)を決める際に占いがとても重んじられていました。
占いによって決める、といった方が正しいほどに。
その頃占いに使ったのが亀の甲羅や牛の骨でした。
そういったものを火にかけ、割れた形に神の意思を読み取ったのです。

そうしているうちに、その『神の言葉』を書き記すということが始まりました。亀の甲羅や牛の骨に彫られたのです。それが今でいう甲骨文字です。

亀の甲羅や牛の骨というと、とても大きなものを想像しがちですが(あれ?私だけかな?)実際、美術館などで見ると10センチ足らずのものにとても小さな文字が並んでいます。
そんなものですし、今の文字とはずいぶん雰囲気が違った字が細い線で彫られているので、ちょっと前まで中国では文字とは気づかずに、文字の彫られた甲羅や骨が、漢方薬の材料に使われていたのだそうです。
『神の言葉』が彫られているのですからたしかに効きそうではあります・・・。

殷の時代と一言で言っても、とても長い時代です。
ちなみに「商」ともよばれており「商人」という言葉を生んだ国でもあります。

さて、長い長い殷の時代、初めから文字を使って栄えた国ではありません。

文字誕生については諸説ありますが、宮城谷昌光著「沈黙の王」がとても印象に残っています。

当時、王や王子にとって言葉とは臣下ばかりか神霊をも動かすことができる、いわば宇宙の力をひきだせる道具でありました。
そのため殷王朝二十一代目の王小乙の息子、子昭は王室から追放されます。
言語障害のためにふつうの会話ができないからでした。
言葉を得るまでは戻れない旅に出ます。

数々の苦難。

その末に子昭の心を理解する傅説(ふえつ)という代弁者=ことばを得ます。

ある朝、雪景色の上を舞い降りてきた鳥が歩いているのを眺めている子昭。
足跡の美しい線が雪の上をつづいています。
その子昭の心のつぶやきを聞いた傅説はあまりの大きな考えに驚愕しました。

「人の言葉ではなく、天地のことばを創りたい、とおっしゃるのですか」

その後、子昭は二十二代目の王武丁となります。やがて先王の喪が明け、とうとうその口からよどみなく言葉が発せられました。その始めの言葉は

「わしはことばを得た。目にもみえることばである。わしのことばは、万世の後にも滅びぬであろう。」

目にみえることば、これこそが文字であり、「象を森羅万象から抽き出せ」と命じて中国ではじめて文字を創造したのです。五十九年の在位中に武丁は商王朝の中で最大の版図を有する立派な王となり、彼の言葉はいまでも甲骨文で残っている・・・・・・。

沈黙の世界にいたことが彼に「伝える」ということを深く考えさせ、
場所や時間を超えて伝える道具を作らせたわけです。
この三千年以上も前の王子の物語が今鮮やかに楽しめるのは宮城谷昌光氏のおかげもありますが、実際にもとになる資料が残っているわけですから、なんともロマンチックです。

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心のバックナンバー22:聞く

22 聞く

前回占いについてお話しましたが、私が意外だ、と言われることのひとつに占いがあります。

実際、以前の私は、そんなもの、と真剣に見たことはありませんでした。

しばらく前、お世話になっているギャラリーに立ち寄った時のこと。
急に訪れたために店主がお休みで、同じ店舗の一角で占いをしている占い師さんが留守番をいたので、しばらくおしゃべりをして時間をつぶしたことがありました。
帰り際に「よかったら(占い)やる?」と聞いてくれましたが
すかさず「あなたは要らなさそうね。」と笑って送りだされました。
若さゆえの自信というか傲慢さが顔に出ていたのかもしれませんが、私も占いなんぞにたよるタイプではないことに太鼓判を押されたような気になって、うれしく思ったくらいです。

でもその後。
家を買い換えようと迷っていた時に、たまたま夫の同僚の間で、大阪のとある占いの館が評判になっていました。そこで半分は興味本位で半分観光がてら行ってみることにしました。
ずらっと並んでいる占いの館の中で、評判通りここだけ行列になっていました。

家のこと以外にも、指摘のひとつひとつがうなずけることばかり。
とりわけ「今の家を買った時期はご主人の運気でいうと一番買ってはいけないときでした。こういうことが起きたでしょう?」の後に続けられたことごとが恐ろしくあたっており、「今度は一ヶ月以内にこの方角なら奥さんの運気がいいので転居するなら今」と言われて現在の家に住んでいます。

私たちの周りにはちょうど家を買おうとしている人や家族の問題を抱える人が多かったので評判が評判を呼び、会社からもさらにそこへ行く人が続き、私も何人か紹介しましたが、ちょっとおもしろいことが起きました。

素直に聞いて即行動に出た人と、答に憤慨して帰ってくる人の2つのグループにはっきり分かれたのです。

素直に行動に出た人たちは、私たちも含め、今まで占いをやったことがない人たちでした。
憤慨する人たちは今までにもいくつか同じ相談を他でもしていた人たちです。

結果どうなったかと言えば、素直に聞いた人たちは問題が解決しましたが、憤慨して答に従わずに自分の答を通した人たちについては、失敗のうわさばかり聞こえてきました。

それはどういうことだったのでしょう。後日答が出た気がしました。

数年後、別の占い師さんと話していた時
「まさか私が信じるなんて今でも驚きなんですけど・・・でも実際助かったし」というと

「普段自分で考えて行動している人の方が聞くのよ。そういうものなの。」と言われました。

いつも責任を背負っている人のほうが、よいことも悪いことも素直に耳を傾けて考える材料にするし、自分の外によりどころがあることに救われる。

しかし、人に頼っていることが多い人は、悩みと言っても自分で答を出す気がないから、実は聞いているようでも本気で聞いていないのだそうです。
そういう人の方が気楽に何軒も回っては気に入った答だけ拾ってただ楽しんでいると。

その通りでした。
憤慨していたグループの人たちがその時もらった答は、周りの人たちが客観的に見る限りではみんなが納得できる内容だったのです。
本人が言われたかった答と違っていただけなのでした。
それで結局答を無視して・・・。
失敗を誰のせいにするのかは知りません。ただ、占いがいいか悪いか、それとは別のお話。

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【Kinkoちゃん随筆】 書家・美術家 金子祥代 https://www.kinkochan.com/
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