Kinkoちゃん随筆

書に遊ぶKinkoちゃんの気ままな日常 ・・・現代アートから海外情報、最近なぜか少年隊まで⁈なブログ

2021年05月

心のバックナンバー21:占い

21 占い
本田健というベストセラー作家がいます。彼の本の中に
ミリオネアは持っていなくてビリオネアは持っているものがある。それは占い師だ。
というようなことが書いてありました。

大成功者は占いにたよるのです。
なんだか不思議に思う方もあるかもしれませんが、私は彼らは謙虚なのかな、と思いました。

占いというのは統計学だと私は思います。
たとえばバブル経済は30年に一度訪れると言う人がありますが、それは30年すると痛い目にあった人が会社からいなくなり、怖さを知らない人が入ってきて同じことを繰り返すからだそうです。

結局人は学習がないと同じことをしてしまう習性があるわけです。

それは人生も同じ。

孔子の言葉も今読んでもちっとも古くなく、むしろ新しい響きを持って教えられるくらいですもの。

これをやったらこうなる、こうしたらこうなるというパターンはいくら自分が何日も考えて出した答えであっても、たいていはとっくに歴史の中で誰かがやっていることなのです。

だって考えてみれば
私より頭のいい人が世の中に何人いるでしょう。

それが100年の間だったら何人。1000年だったら?
そう考えたら、自分ひとりがゼロから考え出すことなんて、とびきりいいはずなんてないわけです。

自分がちょっとでもましなことをしようと思うなら、まずは今までのすごい人たちが汗をかきかき苦労を重ねて考えたことをダイジェストでエキスをいただいちゃって、それから自分なりに何ができるか考える。
あるいは歴史で大失敗した人がいたら原因を知って同じことはしないですむようにする。
それしかできません。

占いを考えた人は、とっくにそんなことに気づいた頭のいい人で、数え切れないほど多くの人のパターンを研究してタイプわけし、それをまた何千年も改良しながら統計をとってきたということか

と、ある日こうひらめきました。宮城谷昌光の小説を読んでいたときです。

彼は中国の古代を舞台にした小説を多く書いています。
読むたびに、スケールの大きさに度肝を抜かれます。
ひとつの戦で1000人単位の人がバサッと死んでいったりする。
それを想像したとき、一人の人間の小ささと、どれだけの人間が人生に翻弄されてきたかという宇宙的にも感じるほどの大きさを感じて呆然とするのです。

どうですか?

そう考えたら、歴史をふりかえったなら、自分と同じように生まれて同じようなパターンで生きてきた人なんて必ず一人くらいはいそうではないですか?

歴史はその人がどうなったか、もう知っています。
だからちょっとでもよくなりたいな、と思ったらその人がした失敗はしないようにして、上手にできた人のやり方を教わったらいいわけです。

私はそのように考えるようになりました。

別に趣味のように頻繁に通ったり、占い記事を片っ端から読むようなことがいいのかはわかりません。
でも、大きな決断をせまられたときや答えが出せないとき、耳を傾けてみるのも悪くないのかなと思うのです。
そうして出る答えは一人よがりでない気がします。
それに、考えても答えが出ないことに使う時間が減らせるのは心の健康によい気がしています。
こんな風に感じているのは数少ない経験からの私の個人的な感想ですが、ビリオネア(=大金持ちさん)たちが占いをたよっている事実には説得力があると思うのです。

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心のバックナンバー20:ハーモニー

20 ハーモニー

調和というのは美しいもの。
日本の社会では人と人との間にも和を尊びます。

でも人と合わせることに疲れちゃう。そんなこともありますね。

では、それは本当の調和なのでしょうか。

最近ラジオで流れたジェームズ・マクミラン作曲の合唱曲の美しさが心に残り、さっそくCDを探して購入しました。同じ曲は入っていなかったのですが、やはりとても美しく聴き入っています。その中には彼のオリジナルとともに昔からあるミサ曲が収録されています。

そこで私の胸をゆすぶった音。それは不協和音でした。

  不協和音

音がきれいに溶け合う和音とは対照的に音が調和せずぶつかりあう組み合わせのことです。
一般的な文脈ではこの言葉が不穏な場面をあらわすのに使われていることが多いですね。

しかし不協和音を敢えて使っている楽曲が戦後ずいぶん発表されました。
前衛音楽と呼ばれるものに多いと思います。
この辺は私は詳しくないので専門家にゆずりますが、私は大学時代、合唱団に入っていたので不協和音が出てくる現代音楽も何曲も歌いました。
三善晃の作品やオルガン奏者への委嘱作品がとても印象に残っています。
簡単に言うと、作るのにとても苦労し、完成したときに大きく報われた曲たちです。

その原因はすべて不協和音。とにかく難しいのです。

きれいな和音の時は自分の音を覚えていなくても慣れている人ならば他の人の出す音を聞きながらなんとなくそれに添う音を探せたりするのですが、不協和音ではそうはいきません。

調和しないのですから。

しかも他の人に合わせたくなるのが人の性。
他の人の声についついひきづられてしまったりします。
人の声は耳で聞いた音が出す音に影響しやすいので大変です。

しかもちょっとでもずれた音を出せばその集合はきたない雑音。

一人ひとりが自分の出すべき音をしっかり正確に出すことによって初めて不協和音が成立します。

本当に大変な練習が待っていました。
しかもまだ経験が浅い私たちには完成の姿をイメージすることもできず、大変なばかりの練習。

しかしです。

完成した時、その音の集合はものすごいエネルギーを発散したのです。

音が強くひとつひとつの色を強めながら大きく飛び散ったのです。

それはうれしいとか悲しいとかいった言葉を超えた深い心の奥の感情を揺さぶる音でした。

ふつうのハーモニーにはない強い力を持った美がそこにはあります。

こういった姿は人の生き方にも言えるのかなと先ほどのCDを聞いていて思いました。
一人ひとりが正しく自分のするべきことをするならば、その一人ひとりの集まりは、ただ調和しようとする集まりよりも神々しい光を放つのではないか。

一生懸命自分をやりたいなと思いました。

自分勝手の薦めではありません。
自分だけができればよいのではなく、全員がそれぞれの自分のやるべきことを正しくしっかり果たしてこそのエネルギーです。
より高度なチームワークと言えるでしょう。

そして、それができる個がふつうのハーモニーを奏でる時、それはゆとりある美しいハーモニーになります。とても心地よいハーモニーです。それこそが本当の調和ではないでしょうか。

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心のバックナンバー19:ひとりごと

19 ひとりごと

私、話すのが下手になってる!

ある時気がつきました。
もともと話したくて仕方がないとき、話したいスピードに口がついていけなくてかんでしまうことがよくあったのですが、最近急いでいなくても言い間違うことが増えているということに気がついたのです。

なぜかなと思って考えてみると、ほとんどの時間を一人で過ごしているために、声を出して話す時間がものすごく少ないということに気がつきました。

話す機能が退化した気がするのです。

声を出すことは減っていても私はひとり言は多いようです。
矛盾するようですが、頭の中で会話していることがよくあるのです。
これも変かな?
一人なのに会話なんて。

営業や教師の仕事をしていたときに、事前準備としてやり取りを想定して色々な場面ごとに返答を用意するという訓練をしたので、その名残かもしれません。

一方的な言葉か対話かは別として、頭の中で語りかけているというのは私の一日の中で実際とても多いのです。
一人暮らしをするとひとり言が増えるとはよく聞く話ですが、人はやはり話したいものなのでしょうか。
ブログやtwitterが流行ったりするのはそんな人が増えているということかもしれませんね。

先日ある方から「金子先生は書道の他に時間を忘れてやってしまうようなことは何ですか」と聞かれました。
その場ではとっさに浮かびませんでした。
最近何をやっているときも雑念だらけで集中していないなあ、と。

でも、ある日ブログを書いていたら、ちょっと手をつけたはずがものすごく時間がたっていて
これだ!と思いました。

こうして「心の相談室」の原稿を書いているときもそうなのです。
「インクの魔法」を書き始めた時も夜があっというまに過ぎていきました。
どれも私にとっては長い長いひとり言なんです、きっと。
私は一人でいることはとても好きなのです。
でも人間は発したいのですね言葉を。
この本で一番癒されているのは私自身のような気がします。

別にひとり言を増やすことをおすすめしているわけではありません。ひとり言というよりも、つきつめれば発することなのかな、と思います。

言葉はダイレクトに自分を表しますが、他の形でも何かを発するということが心にいいように思うのです。
私の経験でいうなら書の作品がそうですし、歌を歌うことがそうでした。
言葉が生まれる前から芸術が存在するというのはそういうことかもしれませんね。
自分を表現したい生き物なのです、人間は。

話さなくなって口が退化したと感じてからときどき本を朗読するようにしました。
シェークスピアを読んだり詩を読んだり。
子供の頃音読が好きだったなあ、なんて思いながら一人で。
この話をするとだいたい変人扱いされるのであまり公表していませんでしたが、音読はとても体にいいらしいのですよ。
先日読んだ本に書いてあって自信をつけました。
それでここに公開です。
こんな簡単なストレス発散方法はないですよね。
文章は何でもいいと思いますが、名文なら内容もさることながらそのリズムごと自分を豊かにしてくれます。ひとり暮しでなくても挑戦してみてください。

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心のバックナンバー18:力を抜いて

18 力を抜いて

力を抜く――これって一番難しいことなのですね、実は。

ラクをするのはみんな大好きなのに、どうして力が入ってしまうのでしょうね。
疲れてしまいますよね。

驚かされるのは「書道をやると肩が凝ります」という方がたくさんいらっしゃることです。

中には筋肉痛になったなんていう話もあって本当に驚きます。
実際教室で一番注意しているのは「肩に力が入っていますよ」とか
「手首の力を抜いてください」
です。

初めて言われる時はみなさん意外な顔をします。

書道は息を止めて力いっぱい線を引く、と思い込んでいる方が圧倒的に多いのです。

でもそんなことをしていたら時には一日何十枚も何百枚も書く書道家さんたちは酸欠になってしまいます。
筆は弾力があって、そのおかげで一本の筆が多彩な線を生んでくれるので、力を入れてこすりつけてはダメなのです。

それに誰でもせかせかしたり苦しそうな何かを見るより、ゆったりとしたものを見る方が気持ちがいいでしょう?

書の線も同じです。
スピードの問題ではなくモーションにゆとりがあったほうが見ていて気持ちのいい線が生まれるのです。

それは多分書道だけのことではなくてみなさんがご存じの何か、テニスでもゴルフでもスケートでもダンスでも部分的に硬直させたり負荷をかけることはしない方がうまくいくのを思い出してください。
もしまだうまくいった経験がなくても、上半身の力を抜いて、とか手首を動かさない、とか先生に言われたことがあるのではないでしょうか。

筆の持ち方は、まず上体をまっすぐのばしてリラックス。
筆は箸を持つ要領で筆管の上の方を薬指に載せます。
そうすると掌は自然なふくらみをもっていますね。
その状態を保ったまま墨をつけて運びます。手の甲はのばさないように。
腕から手の甲が一直線になる持ち方だと急に腕に力が入ります。
あくまでも手首から先は力を入れないでください。

書き始めると急に掌をギュッと握ってしまう方がいらっしゃいますがそれはNG。

よく卵を掌で包んでいるつもりで、と言われますが、ある先生は
「みんな生卵だと平気でつぶすから『ひよこがいるつもりでやさしく』と言うのだ」とおっしゃっていました。

それはいい!と思ってさっそく実行。

たしかに卵と言っていた時よりやさしくなりました。
但し大抵は、です。
中には気づいたらギュッと握ってしまっていて、そこにいるかわいそうなひよこを想像したのがトラウマに・・・というくらい頑固に握ってしまう人もいましたから良し悪しでして・・・。

椅子に座って書くときは腿をくっつけて座ってください。
足がだらしないと上体がピシッとせず、やはり手だけに力を入れて書くことになります。
私は右足を少しだけ引くようにしています。
これは包丁をもって料理する時と一緒で自然な状態で長い間右手を動かすことができるからです。
見た目もきれいになりますからおすすめですよ!

正しい姿勢で線がひけるとスカッとします。書の稽古は疲れることじゃなくって気持ちのいいものです。多くの方に体感してほしいなあ。

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心のバックナンバー17:豊か(後半)

17 豊2

さて思っていると叶うもので、初めてアートフェアに出展する機会を得たのがベルギーでした。

アートフェアというのはギャラリーの見本市なのでアーティストが自分でエントリーすることは基本的にはできません。
ですから今回の出展もギャラリーが私の作品を出そうと思わないと並ばないわけで、それがベルギーになったというのも運命としかいいようがないのです。

アーティスト自らが会場にいなければいけないこともないのですが、今回は初めてということで勉強のつもりで現地に行くことにしました。
もちろんベルギーへの興味もありましたから。

いつも通り、あくまでも目的地のゲントにフォーカスして調べていました。
ところがKLMからのチケットが,
帰国の際はアントワープからアムステルダムに出て日本へ。
というルートに変更になり、これまた偶然にもアントワープへ行くことになったのでした。

そんなわけで移動のために生まれた空き時間を利用してノートルダム大聖堂のみならずホーボケン村まで行ってネロが毎日牛乳を運んだ行程を4キロばかり歩いてみたりもできました。

さてさてベルギー人は本当に親切なのか。
第二の疑問を検証しましょう。

答えは簡単。イエスでした。どこへ行っても実に快適に過ごせました。

一番印象に残っているのはトラムでのこと。

着いたのは夜。
真っ暗な中、駅からタクシーでホテルに行きましたが、翌日はトラムに乗ってみることにしました。
「ホテル出たらすぐ乗り場だよ」と勧められて向かうと、本当に近く、しかも目の前に乗るべきトラムがとまっています。
乗り場の名前も見ずに飛び乗ってしまいました。

そう、乗り場の名前も見ずに。

その失敗に気づいたのは夕方帰るときのトラムの中。
何番のトラムに乗ればいいかは聞いていたけれど、どこで降りたらいいかわからない。
ホテルの周りの景色もまだちゃんと見ていない。

どうしよう・・・。

町の詳細な地図ももらったけれど、トラムは線がひいてあるだけで乗り場の印も名前も書いてありません。
真っ青になりながら必死で地図をながめますが、オランダ語の名前は記号みたいに見えてくらくらします。
どうにかこうにかホテルの前の通りの名前をみつけて「きっとこれだ!」とやまをかけ、トラムが止まる度に必死で電光掲示板を見ていました。
目指すは

ファイフワインドホウスシュロラアトという名前。

とても初めてで聞き取れる名前じゃないし、合っているかもわからない・・・
が、はっと見ると今書いてあるのがその名前のようです。
扉が閉まる間際に地図も広げたままあたふたと飛び降りました。

セーフ!!!

ところがトラムは発車しません。

何かな?と思いながらもホテルの方角を探してホームを歩き始めました。

ちょうどトラムの先頭あたりに来た時、運転手が扉を開けて手招きしました。

周りには私しかいないので近づくと、「ここでいいの?」と聞かれます。

わからないので「ホテルはここです。」と地図を見せました。

するとじーっと眺めた後、運転手さんは「よしっ!」と頭を振り、安心してトラムを出発させたのでした。
その間トラムの中に「はやくしろ」なんてせかす乗客は一人もなく。

そんなことをいろんなところで体験し、「ゆとり」について考えさせられました。
急いで走っている人やカリカリした人を見なかったなぁ。
本当に印象のいい国でした。

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心のバックナンバー16:豊か(前半)

16 豊

アントワープのノートルダム大聖堂の奥「キリスト降架」という大きな絵の前に小さな机があって、ここに各国語に訳されたちょっと変わった説明があります。

「日本ではこの『キリスト降架』の絵については、誰でも知っています。その理由は何世代にもわたる日本の人々が、アントワープの大聖堂で起こった物語について知っているからです。それこそが、日本の天皇皇后両陛下が、1993年にアントワープを訪れ、この絵の鑑賞に熱心であった理由なのです。」

もちろんその物語とは「フランダースの犬」です。
ネロが死ぬ間際にやっと見ることができたルーベンスの大作がこの絵なのです。
この文の続きにはネロとパトラッシュの物語の要約まで書かれています。実際に起こった事件でもないのにどうしてこんな説明書きがあるのでしょう。

実は「フランダースの犬」は舞台となったベルギーではほとんど知られない存在だったのです。
作者はイギリス人でベルギーに住んだことがあることからこの小説がうまれました。

10年くらい前にたまたま見たテレビ番組で我が家はとても盛り上がりました。

実は「フランダースの犬」を目的に訪れるのは日本人だけらしいというウワサを検証しよう。

という特集でした。
「大聖堂には日本語が書かれたステンドグラスがあるらしい。興ざめ・・・」という観光客の声がひそかに有名になったころでした。
町の人々へのインタビュー開始。
会う人会う人にマイクを向けて
「フランダースの犬を知っていますか」
と質問していくのです。

結局知っている人は少しもいませんでした。

そして理由が素晴らしい。

現地の人のコメントはこうでした。

「ベルギーではこんな困った人を放って死なせるようなことはありえません。」

そう。あまりにも非現実的で共感が持てないというのです。
ある時期から急にアントワープへの日本人観光客が増え、来る人来る人がそろって「ネロの絵はどれですか」「ネロの家はどこですか」と聞くのでベルギー人が興味を持ち、とうとうネロの暮らしていたホーボケン村にネロとパトラッシュの像が建つまでになり、ベルギーでも「フランダースの犬」の翻訳が出版されることになったそうです。

そういう変わったエピソードからノートルダム大聖堂の説明書きが生まれ、今ではさらに他の色々な国でも翻訳が出されているそうです。

番組を見た後「いくらなんでも全然知らないなんて・・・」と思った私たちはベルギー人と出会う機会がある度に必ず「フランダースの犬を知っていますか」と聞くことにしました。
すると、本当に一回も会わないのです!!
「読んだことがない」ではなくてタイトルすら知らないのですから。

テレビが編集でカットしたのでは?という疑問も吹き飛びました。
そして何なの?という質問をされてストーリーを話すとやはり今ひとつピンとこない反応が返ってくるのです。

実際、質問したベルギー人もみんな印象がよかったので、フランダースの舞台というよりも親切な国としてのベルギーに今度は興味を持つようになりました。
(つづく)

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心のバックナンバー15:寄り道

15 寄り道

私とスポーツが結びつく方というのは少ないようです。

もっというなら書道以外で何かできるというだけで「えーっ?」と言われる始末。

でもどの種目も嫌いではなかったし、結構楽しめる程度には参加して、リレーの選手も何度かあったりします。バトンの受け渡しが怖くて応援している方が楽しいのに、と思っていたくちですけれど。

ところが一回だけ何のプレッシャーもなく気安く走ったことがありました。
小学校一年生のときです。
しかも紅白リレー。すなわち学年代表。
5クラスもあったというのに。
今でも自分がそんなに速かった記憶がないのですが、選ぶために体育館の中で何度も走らされた時の映像は頭に残っています。

そして当日の記憶も。
忘れようにも忘れられないレースでした。

私は赤組。大きい子と小さい子が交互に走っていくシステムだったらしく(この辺はあいまいです)赤組の大きい子から大差をつけてバトンを渡されました。

「バトンをもらったら走る」

生まれて初めてのリレーで、これしかインプットされていなかった私は走り始めました。

でもたった一人だし後ろの子はまだ走り出してもいません。

広いレーンをあっちこっち眺めながらとろとろ走り、後ろからくる白組代表、同じクラスの「しょう子ちゃん」をにこにこしながら振り返ったりしていました。

しょう子ちゃんは半周も後ろに小さく見えます。

私は気ままも気まま、何レーンも横切って蛇行している姿は応援席からどう見えていたのでしょう。

カーブに差し掛かったとき後ろから猛烈な勢いで走ってきたしょう子ちゃんの胸を突き出したフォームは今でも鮮やかに思い出されます。
白いはちまきをたなびかせ、私の1メートルいや2メートル内側を迷いなく走り抜けて行きました。

そこでようやくスイッチが入って追いかけましたがとても追いつくことはできませんでした。

上級生たちがあきれたり怒ったりしていた空気はなんとなく感じましたが、それが何なのかよくわからないまま終わってしまいました。家に帰ってからリレーの意味や私の失態の説明を聞きました。

残念ながら二度と紅白リレーに選ばれることはありませんでした。

その後のどんな運動会でもあんなにばかな動きをしている子は見たことがありません。

どれだけボーっとしていたかがうかがいしれます。
でも、ボーっとしていても普通の子はまっすぐ走るのだろうなあと思います。

そしてある日思ったのです。

今でも私変わってないな、と。

自分にしっかり戒めていないと横道に逸れてしまうくせ。考え事をしてしまって歩みが遅くなり余裕だったはずの電車を乗り過ごしてしまったことも数知れず。

美術の時間に一人だけまったく違うアプローチの絵を描いていたこともありました。
できあがり間際に周りを見て気がついて顔が真っ赤になってしまったっけ。

ボーっとしているというよりスイッチが故障気味なのかもしれませんね。

振り返ればそんなことばかりでした。
学校帰りの寄り道は毎日のこと。
旅先でも人生設計でも寄り道ばかりです。
事前の計画を入念にした時ですら、気がつくと違う道を歩いている自分。

時々心配してくれる人もいるけれど、そんな時に目にした風景の方が鮮明に生き生きと記憶に残っているから不思議です。
リレーでは大勢の人にひどい迷惑をかけてしまったけれど、やっぱり私にはかけがえのない経験になっています。

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心のバックナンバー14:手紙

14 手紙

最近便箋を買う時に困ることが多いです。

小さかったり、封筒に対して便箋の枚数が少なすぎたり。
だから、気に入ったデザインのものをすっきり買うことはほとんどできません。

パソコンの手紙が増えたということなのでしょうか。
でも、次々と新しいデザインがお店の棚を飾ると言うことは根強いファンもいるということなのでしょう。

手紙の魅力は、ひとつには封筒ひとつとっても、便箋ひとつとっても、インクの色から封緘、切手に至るまで、出す人の好みが表せるということでしょうか。

人となりが出てしまうということかもしれませんが、いずれにしても、ひとつとして同じ手紙はありません。

ポストを開けたときにチラっと見えたハガキの柄だけでパッと心が明るくなったことはありませんか?
疲れて帰ったからだの重さを忘れさせてくれるような一瞬が。

それにもまして最大の魅力は手書きの文字ですよね。
同じ人からでも急いでいたり、ゆっくりよく考えながら書いているなとわかったり、色々な姿が見えてきます。

手書きは嫌だからメールで済ませてしまう、という声もよく聞きます。
書道教室に通う人ですら多いのです。
それはみなさん「字が下手だから」という自信のなさからおっしゃいます。

「下手だから先生には出しにくいです」と言われることもあってとても残念に思います。

でも正直なところ、そういう意味では私自身も自分の字を見てがっかりすることが今でも度々。
まったく他人事ではありません。
なんだか自分という人間の悪いところを全部見せつけられているような気がするほどです。

ところがです。

手紙をいただいた時にはうれしい発見をすることばかりなのです。
これは本当に不思議なことですが、
初めて手紙をいただいた時に「あの方はこういう字を書かれるのか」と意外に思うことがけっこうあります。しかもそれはたいていうれしい発見なのです。

私は人一倍文字に何かを感じる方かもしれませんが
そこにネガティブなものを見ることはなく、その人の知らなかったよさに気づかされることが圧倒的に多いのです。

だから、下手だからと思い込んで手紙を出さないのはもったいないと思うのです。

そんな気持ちで気にしながら書いていること自体とってもかわいいと思いませんか?
上手いか下手かを気にするなら練習をすれば誰でも上手になることができます。これは自信を持って断言します。でも、ものすごく練習して同じお手本の字をいくら完璧に写すことができるようになった人ばかりの字を並べても、やっぱりどこか違いがでてしまうのです。

それがその人であり、個性ですよね。

上手いとか下手なんて気にせずに手紙を書いてみませんか。
メールみたいにすぐ返信がきたりしません。
メールよりたくさん時間がかかります。
力が入って手も痛くなるかもしれません。

でも、前に会った時の顔など思い浮かべながら、ゆっくり丁寧に書いてみましょう。
丁寧にたたんで丁寧に封をして。
それだけでも幸せな気分になると思います。

忙しい方こそ、ちょっと贅沢な時間を作ってみてはいかがでしょうか。

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心のバックナンバー13:アンティーク

13 アンティーク

皆さんの家は新築ですか?
新しい家は気持ちがいいですね。
私も建てたことはありませんが、できたばかりのマンションに住んだことが何度かあります。

でも、いつも慣れるのに時間がかかりました。

ある時テレビで見たホテルがあまりにも素敵で、名前もわからないのにインターネットで探し当てて太平洋の向こうまで泊まりに行ったことがあります。

そこはもともとはお金持ちの豪邸で代々住んでいた人の集めた家具や調度品がそのまま使われているのが特徴でした。
個人宅ですから、一般のホテルと違って壁の色からファブリックまで全て部屋ごとに違います。
私が通された部屋もテレビで見た華やかな部屋ではなく、全く印象が違ったので普通ならがっかりしそうなところですが、荷物を片付けるまでの間にすっかり気に入ってしまいました。
まるでずっと前からここにいたかのように落ち着いたのです。
一週間後の去りがたい気持ちといったらありませんでした。

あの包容力はいったい何だったのでしょう。

やはり部屋を彩っていたひとつひとつの骨董の力だと思うのです。

骨董というのはただ古いという意味ではありません。
よいものが次から次へと受け継がれ、その時々の持ち主が大切にして次に伝えてきたものを言うのだと聞いたことがあります。
しまいこむのではなく、愛でながら大切に使ったその結果今も生きている、その尊さも含めての魅力なのだそうです。
そう思えば、あの部屋が居心地がいいのはあたり前だったのです。

といって、生まれながらに良いものに囲まれてきたお嬢様ならいざ知らず、普段の生活の中で突然骨董に囲まれて暮らすなんて難しいですよね。
私にもとてもできません。
でも仕事がら硯だけは古い物を手に入れました。
もちろん大切に使っています。

不思議なもので、使い始めた日から机に向かったときの、いえ、稽古部屋自体への思いも、もっと言うなら書への思いに至るまで、なんだか変わった気がするのです。

墨を磨る時も自然に背筋がのびて心が静まるし、洗ったあとのしっとりした肌触りにはいつも幸せな気持ちにしてもらっています。(余談ですが、良い硯はしっとりと肌に吸い付くのです。選ぶ時も手のひらで触ってみるのですよ)

100円ショップで何でもそろう時代です。
私自身もっと若くて何も知らなかった時には、使えればいいじゃないか、とか、似たようなものだし、なんて言い訳をして、よいものを知ろうともしなかった頃がありました。

でも、これからは少しずつ、ずっとそばにいてほっとさせてくれるものとの出会いが増えたらいいなあと思っています。

骨董なんて高くて高くて絶対無理!なんて声も聞こえてきそうですね。

大丈夫。無理をおすすめしているのではありません。

今古くなくたって、とても気に入ったものに出会えたら大事に大事に使ってみませんか。あなたが未来の骨董品の初代オーナーになるかもしれませんよ!

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心のバックナンバー12:雨

12雨

雨   と聞いて何を連想されますか。

先日作品を扱っていただいているギャラリーに送った作品の中に一点「雨」と小さく一文字書いたものを入れました。
オーナーさんからは「とてもいい作品で気に入ったけれども、雨という題材で売れた実績がないので迷っている」との連絡をもらいました。
お客様の中にも雨というのはマイナスイメージとしてとらえられる方が多いようです。

ところが私は子供の頃から雨が大好き。

雨が降ると家中のカサを持ち出して全部広げ、家の前の道にひとかたまりにして並べては「カサの家」と言ってその中に入って楽しんでいました。

高校生の時も、駅から学校までいつもは自転車で通う道を雨の日はバスを使うのですが、時間を気にしなくていい下校の時はだれも誘わずわざと一人で、普通でも30分かかる距離をできるだけ遠回りしながら、わざわざ傘をさして歩いて駅に向かったりしていました。

もちろん濡れるのは好きではありません。車に泥をはねられてブルーになったことも数え切れず。
電車の中で傘の置き場に困ったこと、満員電車が蒸し風呂のようになったこと、何より歩くのが下手で人一倍パンツやスカートの裾に泥をはねては洗っていたこと。
たしかに考えてみればマイナスもいっぱいです。

ではなにがいいのだろう。

雨音。

朝起きたときに雨の音がして、音の中に心をひたしていた記憶。
すべての汚いものが見えなくなって、空気の中の塵もすべて洗われたようなとても落ち着いた気持ちになった記憶。

いつからか雨が降ってもあの音が聞こえなくなってしまったけれど、薄いガラス窓を通して聞こえてきた雨音の中での記憶が今でも蘇るのだと思います。

「カサの家」では屋根にあたる雨の音を、駅までの道でも、カサにあたる雨の音を楽しんでいたのです。

まだ運転し初めのころ、雨の中、車を走らせていた時にラジオからの初めて聞くメロディーに惹きつけられました。
なんて心地よい曲なのだろうと思って聴いていると、曲の終わりに紹介があって、カーペンターズの「Rainy days and Mondays」だとわかりました。

「雨の日と月曜日はなんて憂鬱なのって歌ってるだけの簡単な歌なんだよね・・・」とDJが笑っていましたが、私にはやっぱり心地よくて、今でも気がつくと口をついて歌っていたりします。

そしてこの曲が雨の日に聞くと格段にいいと思うのは私だけでしょうか。

忙しい日が続くと雨にうんざりされる方も多いでしょう。
私も最近、カサをさしながら、音など聞いていられないくらい先を急いで歩いている自分に気づきました。

今度雨が降ったら、その日は心をオフにしてゆっくり雨の音に耳を傾けたいと思っています。

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【Kinkoちゃん随筆】 書家・美術家 金子祥代 https://www.kinkochan.com/
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