30 沈黙の王

占いの話が続きましたので、文字の誕生のお話をしたいと思います。

殷の時代。
もちろん紀元0年よりずーっと前の時代、中国にはすでに強大な力をもった国家が誕生していました。

その国家では政(まつりごと)を決める際に占いがとても重んじられていました。
占いによって決める、といった方が正しいほどに。
その頃占いに使ったのが亀の甲羅や牛の骨でした。
そういったものを火にかけ、割れた形に神の意思を読み取ったのです。

そうしているうちに、その『神の言葉』を書き記すということが始まりました。亀の甲羅や牛の骨に彫られたのです。それが今でいう甲骨文字です。

亀の甲羅や牛の骨というと、とても大きなものを想像しがちですが(あれ?私だけかな?)実際、美術館などで見ると10センチ足らずのものにとても小さな文字が並んでいます。
そんなものですし、今の文字とはずいぶん雰囲気が違った字が細い線で彫られているので、ちょっと前まで中国では文字とは気づかずに、文字の彫られた甲羅や骨が、漢方薬の材料に使われていたのだそうです。
『神の言葉』が彫られているのですからたしかに効きそうではあります・・・。

殷の時代と一言で言っても、とても長い時代です。
ちなみに「商」ともよばれており「商人」という言葉を生んだ国でもあります。

さて、長い長い殷の時代、初めから文字を使って栄えた国ではありません。

文字誕生については諸説ありますが、宮城谷昌光著「沈黙の王」がとても印象に残っています。

当時、王や王子にとって言葉とは臣下ばかりか神霊をも動かすことができる、いわば宇宙の力をひきだせる道具でありました。
そのため殷王朝二十一代目の王小乙の息子、子昭は王室から追放されます。
言語障害のためにふつうの会話ができないからでした。
言葉を得るまでは戻れない旅に出ます。

数々の苦難。

その末に子昭の心を理解する傅説(ふえつ)という代弁者=ことばを得ます。

ある朝、雪景色の上を舞い降りてきた鳥が歩いているのを眺めている子昭。
足跡の美しい線が雪の上をつづいています。
その子昭の心のつぶやきを聞いた傅説はあまりの大きな考えに驚愕しました。

「人の言葉ではなく、天地のことばを創りたい、とおっしゃるのですか」

その後、子昭は二十二代目の王武丁となります。やがて先王の喪が明け、とうとうその口からよどみなく言葉が発せられました。その始めの言葉は

「わしはことばを得た。目にもみえることばである。わしのことばは、万世の後にも滅びぬであろう。」

目にみえることば、これこそが文字であり、「象を森羅万象から抽き出せ」と命じて中国ではじめて文字を創造したのです。五十九年の在位中に武丁は商王朝の中で最大の版図を有する立派な王となり、彼の言葉はいまでも甲骨文で残っている・・・・・・。

沈黙の世界にいたことが彼に「伝える」ということを深く考えさせ、
場所や時間を超えて伝える道具を作らせたわけです。
この三千年以上も前の王子の物語が今鮮やかに楽しめるのは宮城谷昌光氏のおかげもありますが、実際にもとになる資料が残っているわけですから、なんともロマンチックです。

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