24 雲の向こう

先日ある中学3年生が
「先生。日本って第二次世界大戦にカンケーあるの?
と聞いてきました。もうびっくり仰天。
その場にいた大人が絵に書いたようにみんな口をあんぐり。

すると「えー。カンケーあんのぉ?もうウチとこの社会のセンセ最低や。わかれへん。」と。

いくら戦後ずいぶんたったとはいえ、夏になれば嫌というほど戦争関係のドラマやドキュメンタリーが放送されます。広島、長崎は関西の子にとっては随分近い場所。
教科書でまだ出てきていなくても日本人なら知っていて当たり前ではないか!
彼女をとりまく日常会話に全く戦争が出てこなかったということに愕然。
これも恐ろしい現実だと思いました。

この「伝えていないこと」の恐ろしさはきちんと大人が考えてクリアしなくてはいけないことですが、この話題から、私が中学1年の時の夏を思い出しました。

夏休みの自由研究として、二人の祖父の戦争体験を聞きに行ってレポートにまとめたのです。

一人の祖父は職人だったために工場に集められ、生活は大変でも戦地に行くことはありませんでした。

もう一人の祖父は第二次大戦ではすでに年齢が高くて出兵しなかったためにそれ以前の体験を主に聞きました。
戦争の話は滅多なことでは口にしたがらないという祖父が話してくれた外地での体験は、それはそれは悲惨なものでした。
それでも多感な年頃の孫娘に聞かせるにはしのびなく、随分ふせたことも多かったと後で聞きました。

この時から「おじいさん(私はおじいちゃんという呼び名を使いませんでした)」というだけの存在だった二人の向こうに人生を積み重ねた「人物」を見るようになったのも覚えています。

レポートはその名もズバリ「戦争」というタイトルをつけて提出しました。

そして、その年の秋。
文化祭での学年の催しのテーマに提案したところ、私たち1年生は戦争について研究発表することに決まりました。
戦時下の食事を再現したり、歴史をまとめたり、クラスごとの分担をする中、私のクラスは「地域の老人に会いに行って戦争体験を直接聞こう」というテーマにしました。
学校の外で班ごとに活動するというのは危険も伴い学校の規則にも関わるため、まずは「担任と戦う」という一幕がありましたが、みんなで乗り越え、一丸となって発表までこぎつけました。

結果、実にバラエティに富んだ、想像をはるかに超えた実話の数々は、とても力のあるレポートで多くの人をひきつけました。
模造紙にレポートを清書していた時、通りかかった校長先生がとても喜んで自分の体験を話してくれたのもいい思い出です。遠い存在だった校長先生と直接話ができた感動とともに、内容の強さから、即採用してレポートに書き加えたりもしました。

取材の中で印象的だったのは、話の内容は平和な時代しか知らない中学生にとってはドラマよりも衝撃的で悲惨で胸が痛むことが多かったという事実に反し、それを話してくださる方々が生き生きと嬉しそうに話してくれる光景でした。

もちろん困難と戦っている最中の方に安易なことは言えません。
それは苦しいはずです。どのくらいかかるのかもそれぞれですし、終わりの見えない戦いは苦しいはずです。
でも、多くの人にとって、乗り越えてきた厳しい体験は笑い話になるということなのです。

思えば神戸に引っ越してきた後、被災の話になると「大変だったわぁ。」といいながら近所の奥様方が盛り上がっていたっけ。
案外皆さんの周りでもないですか?
「あれは大変だったなぁ。」と笑いあっている光景。乗り越えさえすれば・・・・。

この原稿を書き始めた時、3月11日の出来事がありました。(東日本大震災)
軽々しく何かを言うなんてできませんでした。

阪神大震災を振り返っても10年以上もの間、区画整理の答が出ずに家に帰れない人もいました。
先ほど話題にした戦争ですら、今でも日本人に影響が残っています。

でも、人間は強いはずです。
いつか笑って振り返れる日が来ることを心から願っています。

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【Kinkoちゃん随筆】 書家・美術家 金子祥代 https://www.kinkochan.com/
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