Kinkoちゃん随筆

書に遊ぶKinkoちゃんの気ままな日常 ・・・現代アートから海外情報、最近なぜか少年隊まで⁈なブログ

心のバックナンバー34:書への思いをもう少し

「心の相談室」バックナンバーは前回「おわりに」で完結!のはずでしたが久々に書について語り始めたのでもう少し。ちょっと真面目な話。

私は7歳で書を始め、以来、常に墨のそばにいます。

それがあまりに自然なことで、逆に自分でどんよくに墨の作品を探すとか、誰かの作品が私の人生に影響を与えるとか、そういったきっかけはないまま大人になりました。
が、ふと見回してみると案外自然な形で墨の作品に触れる機会というのは今の日本にはなかなかないのだな、ということに気がつきました。

今ではもちろん古本屋めぐりをしてでも、いい書家の作品集を手に入れる、ということが私にとっては生活の一部です。でもそれは私がプロを志してからのことですから積極的な行為です。

いい作品は常に私に何かを与えてくれます。
しかし、そういった体験がなかなかできない、あるいは知らない人がたくさんいる。
これは残念だなといつも思っています。
書にとっても、出会えない人にとっても。

少し古い小説を読むと、手書きの文字からのメッセージや文字への思いが色々なところで大事な要素としてでてきます。とても素敵なことではないですか?!
でも現代日本でそれが理解できる人は減っています。書と筆文字のフォントを同じに扱う人もたくさんいて悲しくなることがたくさんあります。

でも今、日本人は本当に墨から離れてしまっているでしょうか?

そんなことはありません!!!
個展会場で、「もっと早く会いたかった」と言われることもたくさんあります。

「興味はあるけれどもどこに行ったら見られるのかわからない」という人にもたくさん会いました。

「今日は気分が落ち込んでいたけれど友達に連れてきてもらってよかった。作品を見たら心が晴れました」と言われたこともあります。

「書の作品は初めてみるけれどもいいものですね」
このセリフこそ何度言われたかわかりません。そして、どれだけ私を支えてくれているかわかりません。

書は学校で習わされた「お習字」ではないのです。
長い間東洋で最高峰の芸術として発展してきた素晴らしい芸術です。
心を動かすのです。

フォントにしか見えない日本人が増えるのは
本当の書に触れていないから。
知らないからなのだろうと思います。知らないからおんなじようなものだろう、と思って知ったつもりになっているように思います。

しかし知らないはずの外国で発表するとまったく読めないのに感動してくれる人がたくさんいます。
感性でわかりあえる芸術なのです。
少しでも多くの日本人に「書」に触れてもらって、お習字の先入観なしに感じることを思い出してもらいたい。自分たちの芸術なのだから。
そんな思いを強く持っています。

世界は今、日本ブームです。
日本でも筆文字は若者に人気があります。
道端で色紙をかいている若者に人だかりができたりします。
それはそれで興味のきっかけになれば嬉しいことです。
でも、「ごっご」の筆文字はいつまでも彼らの心にとどまりません。

「筆文字」ではなく「書」に触れる。
そんな芸術活動をこつこつ続けていきたいと思っています。banner-kokoro

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心のバックナンバー33:おわりに

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のバックナンバー集はいかがでしたか?

「ほっとするメッセージ」を「ほっとする書の作品」と。
ちゃんとできていたでしょうか??

それぞれに添えた書の作品はエッセイのタイトルです。

「書」という言葉だけで肩が凝ってしまう人(お習字のトラウマなんでしょうね)や、書道展に並ぶ(=勝負用の)パワーを全面に出した作品がちょっと苦手という方にも自然に親しんでいただけるよう、やさしい作品にしました。

そしてまた、書を嗜んでいる方々が、ちょっとした小品をつくって一歩前に踏み出す時の作品づくりのアイディア集にもなるよう紙や書体にバラエティが出るように工夫しました。

が、
実はこんなことがありました。

「心の相談室」を掲載していたホームページの薬局の社長さんに紹介された日のこと。
チラッと掲載作品のいくつかをご覧になった社長さんは「むうう・・・」とあまりいい反応ではありませんでした。

もともと社長さんは書家(私)と会えるというのでとても楽しみにしてくださっていたようなのです。というのは社長さんは大の書道ファンで、社長室はさながら美術館のような蒐集ぶり。
自分の会社のホームページには社長室の壁を囲んでいる作品のようなしぶい作品が使われているとばかり思っていらしたようなのです。

ところが期待を裏切ってご覧の通りの気が抜けた字が目に入り・・・

私は私なりにコンセプトに合わせて肩の凝らない作品を力いっぱい書いたわけですが関西の書のファンからすると子供の遊びに見えるのです。

実は現在の書道界では
関西は古風なしぶめの書、関東は軽やかな現代風という住み分けがあります。

それで、こんなこともあろうかと用意してきた今までの作品写真のファイルを一冊お目にかけました。
するとさっきとは違って真剣に見てくださり

「先生、日展は?」

と聞かれました。
当時はまだ挑戦し始めで、とてもまだまだと思っていた私に思いがけず

「これ、この作品やったらいけるんちゃいます?ええ作品ですわ」

と言われました。

その傾向の作品こそ始めたばかりでまだまだ模索中だったのですが、
なんとその翌年本当に入選してしまいました。

もちろん社長さんはとても喜んでくださり、最初のスタイルのまま掲載を続けさせてくださったのでした。

日展2010コスモス











日展初入選作品(帖・部分)

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心のバックナンバー32:ほめられる

31 ほめられる

ある時、小学生の女の子が
「先生はいつもほめるけどさ、本当にこれ(私の字)いいの?」
と言いました。

わずか十年足らずの人生で、この子は何を体験してきたのだ?

驚きましたが、ふと、その子の経験、つまり本音とは限らない言葉に触れる経験の方が世間では実はよくあることなのかもしれないなと思いました。

ある時、同級生から
「あなたはありがとうと言ったりごめんと言ったりするのが苦手なダメな人間だ、嫌いだ」
と強く非難されたことがあります。
彼女が言うには、先輩方と私がもめていて、そのせいで同級生の彼女までひとくくりで悪く思われる。だから謝れ、どうして謝らないのだ。と言うのです。

私には誰に何をあやまらなければいけないのかさっぱりわかりませんでした。

なぜなら、先輩方との関係は悪くなく、お互い真剣に話し合っていただけだからです。
真剣すぎて、傍からは喧嘩に見えてしまっていたようなのです。

先輩方はその時もその後もずっと親しくお付き合いくださっています。
しかし、別の意味では彼女の言葉は事実だと気がつきました。

私は彼女たちのように、あいさつのように「ありがとう」と言ったり、とりあえず「ごめん」と言ったりすることが全くできませんでしたから。
とりあえずその場ではにこにこしながら陰で悪口を言う少女たちの姿に触れる度、おなかの中にどす黒いものがズシンと感じられ、どうしてよいかわからずにいました。

随分人生経験が増えた今でもやっぱり会いたくもないのに「また会おう」とか、社交辞令が言えません。

要するに思ってもないことを言うのがとても苦手なのです。

だから私がほめる時、まぎれもなくそれは本物です。

小さいことでもよいと思ったら本気で言っています。
私にほめられることがあったらどうぞ素直に聞いて喜んでください。

さて、冒頭の小学生の質問に、私はもう一つのことを考えさせられました。

私が書を続けて、長くやっていればこそ仕事にまでしてしまった最大の原因は何か。
それは
先生が「上手い」と言えば「そうなんだ」と思えたおめでたい子供だったからではないか。それに尽きる気がしました。

だって子供の頃、先生の言葉を疑うなんて考えたこともありませんでしたから。

私は天才じゃありません。
今までたくさんの子供たちを教えてきた中で、私などは及びもつかないくらい才能ある子供たちと何人も出会いました。
そこに自分を並べてみたら、なんと恥ずかしい!と思うくらい。
子供だった私の周りにだって私より上手な子はたくさんいました。

でもです。
他の子と比べて卑屈になるのではなく、先生を信じ切っていたからこそ、師匠が教えてきた何百人もの生徒の中で唯一人プロになれたのです。
今ははっきりわかります。

素直にほめられること

これも一つの才能なのだ!
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心のバックナンバー31:紅

紅1

紅の文字を見ると思いだす色があります。
赤でも朱でも紅梅の花の色でも紅花の作る色でもなく、それは透き通ったオレンジ色でした。

私は結局大学にもなんとなく行ったし、今でも勉強は好きですが、勉強の事始め、小学校1年生の時は勉強どころか授業が何をするものかもわからずに椅子に座っていました。
椅子に座っていられればまだまし。
たまらなくなった揚げ句にとうとう頭が痛くなってきて保健室に行かせてもらったこともしばしば。

勇気をふりしぼって教壇に行き
「頭が痛い・・・」
と言うと、無造作な短髪で化粧っけのない、いつも体操着のような服の女の先生が
「また?」
と怖い顔。
そしてまた次のジュギョウが苦行になるのでした。

もちろん生まれて初めてもらった通知表といえば、中身は全く覚えていません(通知票がなんだかわからなかったからです)。
ただ両親が額を寄せてぼそぼそ落胆の声で話し合っていた光景をはっきりと覚えています。
 
それが化けたのが翌年。
新しい担任の先生は大学を出たばかりの女の先生でした。
髪にはきれいにパーマがかかり、毎日ブラウスにひらりとしたスカートをはいたおしゃれな先生が私は一目で好きになりました。
どの子に対してもわけへだてなく接してくれた人柄に加え、振り返れば授業も上手だったのだと思います。

でも、何より私の目を捉えたのが先生のお化粧でした。

PTAのお母さんたちからは「化粧が濃い」なんてひがんだ声が聞こえたりしましたが、幼い私は授業の間中うっとりとしていたのでした。

もっと正確に言うと、先生の頬に乗った美しいオレンジを見ていたのです。

その色はどこから始まったのかわからないようにふわりと乗っていて、しかも白い肌が透けて見えるようなのでした。
それが美しくて不思議でずっと目で追ってしまうのです。

色をつけるといったらクレヨンか水彩絵の具しか知らない子供には「どうしたらあんな色の塗り方ができるのだろう?」と不思議で仕方がないのです。

その話をした時「あれは頬紅というのだ」と教えられ「べに」という言葉と出会いました。

その美しい頬紅のおかげで、気づけば生まれて初めての皆勤を達成。
通知表は「オール『大変よくできました』」。なんという変化でしょう!

メイクアップでいかに「自分」を美しく「見せるか」。

コンプレックスを隠すテクニックを研究している女性が今ほど多い時代はないでしょう。
でも私が「お化粧」ということを思う時
思い出すのは先生にみとれていた幼い私。

「見る人」にとって意味がある、と思わずにいられないのです。

★今回の書作品:「紅」

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心のバックナンバー30:「異なもの」2

29 異なもの

メキシコシティでの個展の開催中にギャラリー近くの公園で揮毫パフォーマンスを頼まれた時のこと。

屋外ということで温度はともかく雨について事前に主催者に問い合わせたところ

「1月はここでは雨は降らないよ。心配ない。」

とのことでした。neverという強い表現できっぱり言われたこともあり、彼の言葉を信じることにしました。げんを担いで今回の旅は折りたたみ傘をスーツケースに入れるのもやめました。

果たしてパフォーマンス当日は素晴らしく晴れ上がった青空のもと、風を感じながら気持ちよく作品を書くことができました。
メキシコシティに着いて1週間目にことでしたが、それまで一日も雨の気配なく、ああメキシコシティの1月は本当に雨が降らないのだな、と思っていました。

ところが。

夕方、パフォーマンスの片付けも終わって部屋にいると、みるみるあたりが暗くなり、激しい雨が降り始めました。風も強くなって雷も鳴り、嵐と呼ぶにふさわしい晩になりました。

ああ半日遅れてくれてよかったなあ、という気持ちでいっぱいになり、傘を持ってきたりしていたら降っていたかもしれないなあと、げんを担いだのがよかった、なんてのんきに思っていたのです。

その後メキシコシティには1カ月ほど滞在しました。

そしてその間に何度傘をもってくればよかったと思ったかしれません。
買い物の帰りに突然降られてウールのストールを頭からかぶってしのいだり、広いチャペルテペック公園の中で降られて木の下で雨宿りをしたり。

そして人に会うたびに、「メキシコシティでは1月は雨が降らないと聞いたけど」と話すようになりました。

すると、大抵「うそうそ。この時期は毎年こうなのよ。
天気が読めないからloco(英語でcrazy)って言われてるわ」と言われてしまいました。

でも、そうすると最初に教えてくれたneverは嘘だったの?
あんなに自信を持って言われたのに。私を安心させるためだったのかな。嘘とは思いたくないな、という気持ちも強くなります。

そしてさらに何日かしてようやくわかりました。

女性に話すと「この時期はいつもこう。」と言われるのに

男性に話すと「降らないよ。今年は変だなあ」と言われていたのです。例外なく。

男の人と女の人がこんなにも物の捉え方が違うということにいまさらながら驚かされたのでした。

この違いはメキシコだけでしょうか。
日本でも何かおもしろい事例がないかな、とちょっと興味が湧いています。

本当にエキゾチックな空間の中、ホッと自分のままでいられる国メキシコ。
旅の計画をされている方には是非おすすめです。
でも、メキシコシティに行かれる際はくれぐれも傘をお忘れなく。banner-kokoro

★今回の書作は古代文字の「女」:座る女性の姿

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心のバックナンバー29:「異なもの」1

28 異なもの

メキシコというと何を思い浮かべますか。

タコス?ソンブレロ?それともカンクンなどのビーチリゾートでしょうか。

時差が夏には14時間、冬だと15時間もあることからも遠いというのがわかります。

でもテオティワカンなどのピラミッドやルチャリブレやコロナビールなど実は知っていることはたくさんあるのですよね。
案外知られていないところでは長い間日本では塩田による塩の生産が禁止されていたため、「伯方の塩」とか「赤穂の塩」といった本格的な塩はメキシコからの輸入品だったわけで、日本人の健康の深い深いところでもお世話になっています。

メキシコに行くと、すらりとした白人からずんぐりした色黒の人、はたまた混血の美形やらいかにも力持ちの恰幅のいい男女とどれがメキシコ人と一言でくくれない色々なタイプの人が歩いていて、いかにも外国に来たな、と感じさせてくれます。

でもなんとメキシコ人の多くに蒙古班があると言ったらどう思われますか?

実は遠い遠い昔アジアから渡っていったモンゴロイドがメキシコ人の先祖なのでスペイン人が行く前の血を濃く残している人たちはとても私たちと似た姿をしているのです。

姿だけではありません。
料理は手間をかけてしっかり作って楽しむことや、刺繍や織物などの細かい手工芸が得意なことなど似ていることはたくさんあります。
なんといっても至るところで清掃の人がせっせとお掃除をしている姿を見かけるのは日本以上です。

また、陶器などは中国から渡った技術でもあり、古いものは全く輸入品かと思うほどに似ています。

もっと驚くのは博物館。そこにある古代の土偶や器は日本の博物館にいたかと錯覚するほどに似ているのです。私は中国の色々な美術館や博物館に行きましたが、いつも「なるほど影響を受けているなあ」とは思うものの「大陸は違うのだなあ」と違いの方が印象に残ることが多かったのですが、メキシコでは逆で、こんなに遠くで風土も違うのにどうしてこんなに似ているのだろうと思うことの方が多いのです。banner-kokoro
さてそのメキシコでおもしろいことがありました。(つづく)

★今回の書はタイトルではなく古代文字で「男」:田と力(鋤の形)
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心のバックナンバー28:風

27 風

風という字は人気があるようです。
書道のサークルの展覧会などに行くと必ず書いている人がいます。
漢詩の中にも出てきますから、お勉強の中でも書く機会は随分あり、何度も字書で字形も調べて工夫しました。

でも、私の中では長い間「難しい字」、できれば避けたい字の一つでした。

難しくなかったとしても、みんなが書く字は書きたくない性分ですからわざわざ自分から書くことはなかったのです。

が、ある時、
「みんなが書くなら書けるようにはなっておかないと!
『書かない』ならいいけれども『書けない』では嫌だなあ」と思い、敢えて「風」の一文字作品に取り組んだことがありました。
有名な先生方の作品集には素敵な作品がいっぱいあって、私の風も作りたいなあと。

しかし書けないのです。毎日100種類作ろう!と取り組んでみたりもしましたがやっぱり書けません。
ちょっといいなと思っても、次の日に見たらどうにも嫌な気分になる作品ばかりなのです。
あんまり書けないのでいい加減なんでこんな字を書かなきゃいけないんだ!と放りだしてしまいました。

しばらくしてから挑戦してもまた挫折。
また放り出してしばらくたったら挑戦してまた挫折。

もうやめようかなあ、と思っていた時、ふと、風って何なのかなあ、と思いました。

風。
風なんて洗濯物は速く乾くかもしれないけど、強すぎたら外に干せないし、髪の毛をきれいにセットした日に限って乱されるし、地下鉄の階段ではスカートをまくってしまうし、傘をダメにされたこともあるし、傘がベランダから飛んでいってしまったこともあるなあ。
夜中にゴウゴウ鳴ったら眠れないし、スキマ風は寒いし。
寒くなくたって春や夏の風も本のページをめくってしまったりメモが飛んでしまったり、目にホコリがはいることもあるし。
あー嫌い。どうしてみんな「風」なんて飾りたがるの?

風、風、風。 風って何なの?

今度は毎日毎日頭の中に「風って何?」がこだまします。

風って何なのでしょう。

「風を感じる」とか「風を入れる」「風が薫る」
こんな時の風は髪の毛を乱したりしない気がします。

どうして髪が乱れないのかな。

風。風が吹いていないから。少なくとも「風を感じる」とか「風を入れる」とかいう時には風は動いていなくてもいいのです。

止まっているわけではないけれども目に見えるほど動いている必要はないのです。
澱んでいない新しい空気。
そんな空気を気持ちよく感じることができる自分の状態。
気づくことのできる自分。そんなことが気持ちよいのかもしれません。

それに気がついた時、ああ、風か。
風を感じられる今日はシアワセだな。
風を感じられる暮らしがしたいな、そんな風に思いました。

そしてほんの少し、ほんの一歩足を動かしただけでも空気は少し動くのだ。そんなことも。

そんなことを思う時、あたりの空気は明るく感じられます。

だからみんな「風」が好きなのか。
すごいなあ、みんな知っていたんだ。そんなことに驚いたりしました。

そして遅ればせながら風が好きになった私は、少しシアワセになった気がしました。

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心のバックナンバー27:ダイエット

26 ダイエット

自分に自信が持てないと色々つけて自分を守ってしまいますよね。
捨ててもよいものと残すべきものを見極める力が必要です。

ダイエット書道!なんてあったら生徒さんが集まるんじゃないですか?」

なんて、おしゃべりの中で言われたことがありました。

おっしゃった方は冗談のつもりでも、実際真剣に条幅作品を書き始めれば冗談ではないのがわかります。

半切のサイズまでなら小学校の頃から体験していましたが、大学時代にいよいよ錬成会なるものに参加をしました。展覧会に出品する書道会では年に何回か実施される合宿のようなものです。その時に師匠に言われたのが、

「他の人のお尻の動きを見なさい。」でした。

一般に書の作品は「正座をして背筋をのばして息を止めて書く。」とイメージされる方が多いのですが、写経か何かのイメージでしょうか。

「作品」を作るには「線の質」がよくならないと駄目なのです。
それには紙に筆が触れていないところも含めた筆の動きがとても大事になってきます。
ですから、仮名の字を書くだけでも使っているのは指ではなくて、腕であり、腰であり結局全身なのです。
大字を書くなら尚のこと。
全身を使って書かなくては動きが足りませんから、スクワットをしながら歩いているようなものです。
しかもリズムも作品に表れますからダンスととても近いものを感じます。

慣れるまではきついし、字の形にとらわれるとついつい小手先にばかり注意が行くので、何度

「お尻が下がってる!」

と檄を飛ばされたかわかりません。
そして、わずか3日の錬成会が終わった時には、生まれて初めてお尻の下が筋肉痛になっていました。

この話をするとなかなか信じてもらえないのですが、大字を主に書く書道家さんたちはスクワットを日課にしている人もいます。
最近はドラマや映画でも高校生の書道部がスクワットをしているシーンがあったりしますからご覧になっている方もあるかもしれませんが、本当のことなのです。

結局冒頭の案は私の容姿に説得力がないのでボツになっていますが・・・。

書の作品そのものを鑑賞していても、作品そのものがダイエットしなくてはいけないなあ、と痛感してしまいます。
巨匠の作品を見ていると、一人の作家でも色々な時代があるのがわかりますが、共通する流れも感じます。

若い時には色々やってみて、付け足すことや大きな冒険をしてとてもエネルギッシュなのに、そのピークを超えると今度はどんどんシンプルになっていくということです。

線の力を味方にして一本の線が多くを語るというか。

造形がどんどん洗練されて行き、余白に対して黒の面積が減って行くのに弱くない。
無に近いほど無限のパワーがあふれてくるかのようです。

あばれるよりも強い何かがどこかから伝わってくるのは何故でしょう。

これは書だけではなく絵画を見ていても感じることですが、誰にでも簡単にかけそうな単純な作品がずっと心に残っていることが多くあります。

減らすというのは簡単なことではありません。
ファッションでも、自分を知り、怖がらずに何でも試してみなくては始まりません。
今持っているものだけで引き算ばっかり考えていてはやる気も続きませんもの。
まずは栄養、栄養!やっぱりダイエット講座はまだ無理のようです。

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心のバックナンバー26:タイムトラベル

25 タイムトラベル

私は子供と写真を撮るのが嫌いです。なぜなら・・・・・・・・老けるから。

まさか子供たちと年をはりあっているのではありません。
でも、どうしても子供たちと接する時には責任感が伴って、保護者の顔になってしまうようで普段より老けた顔に写るのです。

だから生徒たちの写真はかわいくてついつい撮ってしまうし、一緒に撮ろう!と盛り上がるのだけれど、後でがっかり。
いい写真だけどこの顔は嫌い。
年をとることが嫌なのではなくて妙に大人顔になっている自分が嫌なのです。
大人の責任は大事だけど気分はいつも子供たちと同じ方を向いているつもりでいるから。

それに対して同窓会の写真は大好き。あの頃よりみんな年をとっているけれど、みんなの気持ちがあの頃に帰っているのがわかるから。
地元で写真屋を継いで、同窓会当日も大活躍してくれたカメラマンが言いました。

「最初は誰だかわかんない人が多かったんだけどさあ、
笑うとわかるんだよ。」と。

みんな10代の時の顔に戻って笑っているのです。

私の少女時代はSFが大ブームでした。
「タイムトラベラー」なるドラマのノベライズ本を近所のあこがれのお姉さんに借りた時は初めて知った「タイムトラベル」という言葉と概念にどんなに胸が高鳴ったでしょう。
その頃のSFはとても質が高くて、タイムトラベルをむやみにしてはいけないこと。行った先でその時代に影響を与えてはいけないこと。などとても真面目に、ある種の寂しさをともなって表現されることが多かったように思います。

そっと見るだけ。

でも、たったそれでも憧れの気持ちがどんなだったか。
「タイムトラベラー」はNHK少年ドラマシリーズの初期の名作で、あまりの人気にノベライズされたそうですが、私が知ってから再放送されることはありませんでした。
挿入されていた写真を見て想像するしかなく、いつか放送されないかなあと思うことしかできませんでした。
随分たって、現在NHKは多くの過去の作品をDVDやHPで見られるようになりました。
少年ドラマシリーズのDVDを知ったときには飛びつきましたが「タイムトラベラー」は古すぎてほとんど映像がなく、音だけのラジオドラマのような状態。
それでも何十年もたって初めて見た「動いている」ケンソゴルと和子には子供の心にもどって感激しました。

そう。まるでその時代に帰ったみたいに。

お姉さんから本を見せてもらった時の情景や、ドキドキしながらページをめくった気持ちがそのままよみがえったのです。

タイムトラベルしてみたかったっけ。

でも、今、これってタイムトラベルじゃない?

超能力を持ったり、ラベンダーの温室に行ったりしなくても。ドラえもんがいなくたって、たった一つの何か。誰かからの手紙。あの頃の音楽。それがタイムマシンになってる!
「なつかしい」ではなく、もっとはっきりある瞬間に帰れるスイッチ。

実際に機械を発明する必要なんてないのだな
と最近思うのです。

こんな風に思うことは過去の思い出ばかり振り返っている頃にはありませんでした。
後悔ばかりで、「あの時に帰れたら」と思ってばかりいた時には。

未来だけを見て毎日を一所懸命過ごしている時、その谷間に思いがけず時間旅行は訪れます。そんな時、なつかしんでいるのではなく、本当にそこにいる私を感じるのです。

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心のバックナンバー25:雲の向こう

24 雲の向こう

先日ある中学3年生が
「先生。日本って第二次世界大戦にカンケーあるの?
と聞いてきました。もうびっくり仰天。
その場にいた大人が絵に書いたようにみんな口をあんぐり。

すると「えー。カンケーあんのぉ?もうウチとこの社会のセンセ最低や。わかれへん。」と。

いくら戦後ずいぶんたったとはいえ、夏になれば嫌というほど戦争関係のドラマやドキュメンタリーが放送されます。広島、長崎は関西の子にとっては随分近い場所。
教科書でまだ出てきていなくても日本人なら知っていて当たり前ではないか!
彼女をとりまく日常会話に全く戦争が出てこなかったということに愕然。
これも恐ろしい現実だと思いました。

この「伝えていないこと」の恐ろしさはきちんと大人が考えてクリアしなくてはいけないことですが、この話題から、私が中学1年の時の夏を思い出しました。

夏休みの自由研究として、二人の祖父の戦争体験を聞きに行ってレポートにまとめたのです。

一人の祖父は職人だったために工場に集められ、生活は大変でも戦地に行くことはありませんでした。

もう一人の祖父は第二次大戦ではすでに年齢が高くて出兵しなかったためにそれ以前の体験を主に聞きました。
戦争の話は滅多なことでは口にしたがらないという祖父が話してくれた外地での体験は、それはそれは悲惨なものでした。
それでも多感な年頃の孫娘に聞かせるにはしのびなく、随分ふせたことも多かったと後で聞きました。

この時から「おじいさん(私はおじいちゃんという呼び名を使いませんでした)」というだけの存在だった二人の向こうに人生を積み重ねた「人物」を見るようになったのも覚えています。

レポートはその名もズバリ「戦争」というタイトルをつけて提出しました。

そして、その年の秋。
文化祭での学年の催しのテーマに提案したところ、私たち1年生は戦争について研究発表することに決まりました。
戦時下の食事を再現したり、歴史をまとめたり、クラスごとの分担をする中、私のクラスは「地域の老人に会いに行って戦争体験を直接聞こう」というテーマにしました。
学校の外で班ごとに活動するというのは危険も伴い学校の規則にも関わるため、まずは「担任と戦う」という一幕がありましたが、みんなで乗り越え、一丸となって発表までこぎつけました。

結果、実にバラエティに富んだ、想像をはるかに超えた実話の数々は、とても力のあるレポートで多くの人をひきつけました。
模造紙にレポートを清書していた時、通りかかった校長先生がとても喜んで自分の体験を話してくれたのもいい思い出です。遠い存在だった校長先生と直接話ができた感動とともに、内容の強さから、即採用してレポートに書き加えたりもしました。

取材の中で印象的だったのは、話の内容は平和な時代しか知らない中学生にとってはドラマよりも衝撃的で悲惨で胸が痛むことが多かったという事実に反し、それを話してくださる方々が生き生きと嬉しそうに話してくれる光景でした。

もちろん困難と戦っている最中の方に安易なことは言えません。
それは苦しいはずです。どのくらいかかるのかもそれぞれですし、終わりの見えない戦いは苦しいはずです。
でも、多くの人にとって、乗り越えてきた厳しい体験は笑い話になるということなのです。

思えば神戸に引っ越してきた後、被災の話になると「大変だったわぁ。」といいながら近所の奥様方が盛り上がっていたっけ。
案外皆さんの周りでもないですか?
「あれは大変だったなぁ。」と笑いあっている光景。乗り越えさえすれば・・・・。

この原稿を書き始めた時、3月11日の出来事がありました。(東日本大震災)
軽々しく何かを言うなんてできませんでした。

阪神大震災を振り返っても10年以上もの間、区画整理の答が出ずに家に帰れない人もいました。
先ほど話題にした戦争ですら、今でも日本人に影響が残っています。

でも、人間は強いはずです。
いつか笑って振り返れる日が来ることを心から願っています。

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