Kinkoちゃん随筆

書に遊ぶKinkoちゃんの気ままな日常 ・・・現代アートから海外情報、最近なぜか少年隊まで⁈なブログ

書作品

心のバックナンバー24:いまどきの

23 今どきの

しばらく朝の連続小説にはさっぱり興味が湧かなかったのが、「ゲゲゲの女房」は毎日見てしまいました。
別に朝8時に変更になったからではなくて、のんびり明るい雰囲気がわざとらしくなく爽やかで、実話だけに説得力もあってついつい次を待ってしまいます。

辛いことの連続なのにグッと受け入れるシゲルさん。
ここぞの時には一本の手で相手を突き飛ばしてでも筋を通す。無愛想なのに愛情が伝わってくる姿。

現代劇特有の神経質なギスギス感が全くなくて、無理やりひきつけるための目をそむけたくなるような過激なシーンが入ることもない。
最近はやりの昭和が舞台だからでしょうか。

平成に入って随分たち、いつの間にか昭和生まれが昔の人扱いになっています。大正や明治生まれになんてなかなか会えなくなってしまいました。
昭和レトロだとか、人情味のあるいい時代とか、いつの間にかとってもいい時代としてひきあいに出されることの多い昭和。

でも、シゲルさんの時代、漫画を読むなんていう若者は

「まったく今の若いやつは漫画みたいなもん読んで」

と言われていたのです。

そしてそのシゲルさんの描いた鬼太郎がテレビに流れる頃、世間では髪の長い若者が胡散臭く扱われ、

テレビの鬼太郎で育った私たちが大人の入り口に差し掛かった頃、
新人類と呼ばれ、理解不能な世代と言われました。

今に至っては少年少女が何かおかしなことをすると「今どきの子だからしょうがない」とつきはなされるようになっています。

少しずつ呼び方や接し方が変わっても「若いもん」が大人から貶されるのはいつの時代にも起きることなのです。

「いまどきの若いもん」を飛ばして大人になる人なんていないのです。

遠くさかのぼればソクラテスが「今どきの若いもんは」と嘆いた記録が残っているくらいですものね。人類は自分の失敗を忘れる生き物なのでしょう。

私の人生の前半は昭和だけれど、あの頃、昭和がそんないい時代だなどと思わなかった。
それが大人が振り返り始めると甘酸っぱい時代に変身するのですね。

シゲルさんとシゲルさんの女房の繰り広げる物語に魅力があるのは昭和だからではなくて、人柄のおかげだと思います。

職場でもあるのではないでしょうか。
たまたま若い人が失敗すると「今どきの若いもんは」と一言で片付けられてしまうこと。
悔しいですよね。
若い側もそうでない側も世代でくくるなんて意味がないのに。

どうか若い人は、嫌なことがあった時に時代のせいとか、大人を恨むとかしないでください。
「どんな若いもんだったのだろうなあ、この人は」なんて思うようになったら楽しいですね。

大人は「今どきの若いもん」を個別に観察してください。
悲しい習性のせいで小さい可能性がつぶれてしまわないように。

生まれてくる時代を選ぶことなんてできないのだから。

なんてえらそうなことを言いながら、平成のアニメ鬼太郎のハイテンポでからりと明るい戦闘ものみたいになったのに落胆し、ひたすら暗くてじんわり怖い中にユーモアと正義を感じさせてくれたあの鬼太郎を愛する昭和生まれです。

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心のバックナンバー23:沈黙の王

30 沈黙の王

占いの話が続きましたので、文字の誕生のお話をしたいと思います。

殷の時代。
もちろん紀元0年よりずーっと前の時代、中国にはすでに強大な力をもった国家が誕生していました。

その国家では政(まつりごと)を決める際に占いがとても重んじられていました。
占いによって決める、といった方が正しいほどに。
その頃占いに使ったのが亀の甲羅や牛の骨でした。
そういったものを火にかけ、割れた形に神の意思を読み取ったのです。

そうしているうちに、その『神の言葉』を書き記すということが始まりました。亀の甲羅や牛の骨に彫られたのです。それが今でいう甲骨文字です。

亀の甲羅や牛の骨というと、とても大きなものを想像しがちですが(あれ?私だけかな?)実際、美術館などで見ると10センチ足らずのものにとても小さな文字が並んでいます。
そんなものですし、今の文字とはずいぶん雰囲気が違った字が細い線で彫られているので、ちょっと前まで中国では文字とは気づかずに、文字の彫られた甲羅や骨が、漢方薬の材料に使われていたのだそうです。
『神の言葉』が彫られているのですからたしかに効きそうではあります・・・。

殷の時代と一言で言っても、とても長い時代です。
ちなみに「商」ともよばれており「商人」という言葉を生んだ国でもあります。

さて、長い長い殷の時代、初めから文字を使って栄えた国ではありません。

文字誕生については諸説ありますが、宮城谷昌光著「沈黙の王」がとても印象に残っています。

当時、王や王子にとって言葉とは臣下ばかりか神霊をも動かすことができる、いわば宇宙の力をひきだせる道具でありました。
そのため殷王朝二十一代目の王小乙の息子、子昭は王室から追放されます。
言語障害のためにふつうの会話ができないからでした。
言葉を得るまでは戻れない旅に出ます。

数々の苦難。

その末に子昭の心を理解する傅説(ふえつ)という代弁者=ことばを得ます。

ある朝、雪景色の上を舞い降りてきた鳥が歩いているのを眺めている子昭。
足跡の美しい線が雪の上をつづいています。
その子昭の心のつぶやきを聞いた傅説はあまりの大きな考えに驚愕しました。

「人の言葉ではなく、天地のことばを創りたい、とおっしゃるのですか」

その後、子昭は二十二代目の王武丁となります。やがて先王の喪が明け、とうとうその口からよどみなく言葉が発せられました。その始めの言葉は

「わしはことばを得た。目にもみえることばである。わしのことばは、万世の後にも滅びぬであろう。」

目にみえることば、これこそが文字であり、「象を森羅万象から抽き出せ」と命じて中国ではじめて文字を創造したのです。五十九年の在位中に武丁は商王朝の中で最大の版図を有する立派な王となり、彼の言葉はいまでも甲骨文で残っている・・・・・・。

沈黙の世界にいたことが彼に「伝える」ということを深く考えさせ、
場所や時間を超えて伝える道具を作らせたわけです。
この三千年以上も前の王子の物語が今鮮やかに楽しめるのは宮城谷昌光氏のおかげもありますが、実際にもとになる資料が残っているわけですから、なんともロマンチックです。

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心のバックナンバー22:聞く

22 聞く

前回占いについてお話しましたが、私が意外だ、と言われることのひとつに占いがあります。

実際、以前の私は、そんなもの、と真剣に見たことはありませんでした。

しばらく前、お世話になっているギャラリーに立ち寄った時のこと。
急に訪れたために店主がお休みで、同じ店舗の一角で占いをしている占い師さんが留守番をいたので、しばらくおしゃべりをして時間をつぶしたことがありました。
帰り際に「よかったら(占い)やる?」と聞いてくれましたが
すかさず「あなたは要らなさそうね。」と笑って送りだされました。
若さゆえの自信というか傲慢さが顔に出ていたのかもしれませんが、私も占いなんぞにたよるタイプではないことに太鼓判を押されたような気になって、うれしく思ったくらいです。

でもその後。
家を買い換えようと迷っていた時に、たまたま夫の同僚の間で、大阪のとある占いの館が評判になっていました。そこで半分は興味本位で半分観光がてら行ってみることにしました。
ずらっと並んでいる占いの館の中で、評判通りここだけ行列になっていました。

家のこと以外にも、指摘のひとつひとつがうなずけることばかり。
とりわけ「今の家を買った時期はご主人の運気でいうと一番買ってはいけないときでした。こういうことが起きたでしょう?」の後に続けられたことごとが恐ろしくあたっており、「今度は一ヶ月以内にこの方角なら奥さんの運気がいいので転居するなら今」と言われて現在の家に住んでいます。

私たちの周りにはちょうど家を買おうとしている人や家族の問題を抱える人が多かったので評判が評判を呼び、会社からもさらにそこへ行く人が続き、私も何人か紹介しましたが、ちょっとおもしろいことが起きました。

素直に聞いて即行動に出た人と、答に憤慨して帰ってくる人の2つのグループにはっきり分かれたのです。

素直に行動に出た人たちは、私たちも含め、今まで占いをやったことがない人たちでした。
憤慨する人たちは今までにもいくつか同じ相談を他でもしていた人たちです。

結果どうなったかと言えば、素直に聞いた人たちは問題が解決しましたが、憤慨して答に従わずに自分の答を通した人たちについては、失敗のうわさばかり聞こえてきました。

それはどういうことだったのでしょう。後日答が出た気がしました。

数年後、別の占い師さんと話していた時
「まさか私が信じるなんて今でも驚きなんですけど・・・でも実際助かったし」というと

「普段自分で考えて行動している人の方が聞くのよ。そういうものなの。」と言われました。

いつも責任を背負っている人のほうが、よいことも悪いことも素直に耳を傾けて考える材料にするし、自分の外によりどころがあることに救われる。

しかし、人に頼っていることが多い人は、悩みと言っても自分で答を出す気がないから、実は聞いているようでも本気で聞いていないのだそうです。
そういう人の方が気楽に何軒も回っては気に入った答だけ拾ってただ楽しんでいると。

その通りでした。
憤慨していたグループの人たちがその時もらった答は、周りの人たちが客観的に見る限りではみんなが納得できる内容だったのです。
本人が言われたかった答と違っていただけなのでした。
それで結局答を無視して・・・。
失敗を誰のせいにするのかは知りません。ただ、占いがいいか悪いか、それとは別のお話。

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心のバックナンバー21:占い

21 占い
本田健というベストセラー作家がいます。彼の本の中に
ミリオネアは持っていなくてビリオネアは持っているものがある。それは占い師だ。
というようなことが書いてありました。

大成功者は占いにたよるのです。
なんだか不思議に思う方もあるかもしれませんが、私は彼らは謙虚なのかな、と思いました。

占いというのは統計学だと私は思います。
たとえばバブル経済は30年に一度訪れると言う人がありますが、それは30年すると痛い目にあった人が会社からいなくなり、怖さを知らない人が入ってきて同じことを繰り返すからだそうです。

結局人は学習がないと同じことをしてしまう習性があるわけです。

それは人生も同じ。

孔子の言葉も今読んでもちっとも古くなく、むしろ新しい響きを持って教えられるくらいですもの。

これをやったらこうなる、こうしたらこうなるというパターンはいくら自分が何日も考えて出した答えであっても、たいていはとっくに歴史の中で誰かがやっていることなのです。

だって考えてみれば
私より頭のいい人が世の中に何人いるでしょう。

それが100年の間だったら何人。1000年だったら?
そう考えたら、自分ひとりがゼロから考え出すことなんて、とびきりいいはずなんてないわけです。

自分がちょっとでもましなことをしようと思うなら、まずは今までのすごい人たちが汗をかきかき苦労を重ねて考えたことをダイジェストでエキスをいただいちゃって、それから自分なりに何ができるか考える。
あるいは歴史で大失敗した人がいたら原因を知って同じことはしないですむようにする。
それしかできません。

占いを考えた人は、とっくにそんなことに気づいた頭のいい人で、数え切れないほど多くの人のパターンを研究してタイプわけし、それをまた何千年も改良しながら統計をとってきたということか

と、ある日こうひらめきました。宮城谷昌光の小説を読んでいたときです。

彼は中国の古代を舞台にした小説を多く書いています。
読むたびに、スケールの大きさに度肝を抜かれます。
ひとつの戦で1000人単位の人がバサッと死んでいったりする。
それを想像したとき、一人の人間の小ささと、どれだけの人間が人生に翻弄されてきたかという宇宙的にも感じるほどの大きさを感じて呆然とするのです。

どうですか?

そう考えたら、歴史をふりかえったなら、自分と同じように生まれて同じようなパターンで生きてきた人なんて必ず一人くらいはいそうではないですか?

歴史はその人がどうなったか、もう知っています。
だからちょっとでもよくなりたいな、と思ったらその人がした失敗はしないようにして、上手にできた人のやり方を教わったらいいわけです。

私はそのように考えるようになりました。

別に趣味のように頻繁に通ったり、占い記事を片っ端から読むようなことがいいのかはわかりません。
でも、大きな決断をせまられたときや答えが出せないとき、耳を傾けてみるのも悪くないのかなと思うのです。
そうして出る答えは一人よがりでない気がします。
それに、考えても答えが出ないことに使う時間が減らせるのは心の健康によい気がしています。
こんな風に感じているのは数少ない経験からの私の個人的な感想ですが、ビリオネア(=大金持ちさん)たちが占いをたよっている事実には説得力があると思うのです。

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心のバックナンバー20:ハーモニー

20 ハーモニー

調和というのは美しいもの。
日本の社会では人と人との間にも和を尊びます。

でも人と合わせることに疲れちゃう。そんなこともありますね。

では、それは本当の調和なのでしょうか。

最近ラジオで流れたジェームズ・マクミラン作曲の合唱曲の美しさが心に残り、さっそくCDを探して購入しました。同じ曲は入っていなかったのですが、やはりとても美しく聴き入っています。その中には彼のオリジナルとともに昔からあるミサ曲が収録されています。

そこで私の胸をゆすぶった音。それは不協和音でした。

  不協和音

音がきれいに溶け合う和音とは対照的に音が調和せずぶつかりあう組み合わせのことです。
一般的な文脈ではこの言葉が不穏な場面をあらわすのに使われていることが多いですね。

しかし不協和音を敢えて使っている楽曲が戦後ずいぶん発表されました。
前衛音楽と呼ばれるものに多いと思います。
この辺は私は詳しくないので専門家にゆずりますが、私は大学時代、合唱団に入っていたので不協和音が出てくる現代音楽も何曲も歌いました。
三善晃の作品やオルガン奏者への委嘱作品がとても印象に残っています。
簡単に言うと、作るのにとても苦労し、完成したときに大きく報われた曲たちです。

その原因はすべて不協和音。とにかく難しいのです。

きれいな和音の時は自分の音を覚えていなくても慣れている人ならば他の人の出す音を聞きながらなんとなくそれに添う音を探せたりするのですが、不協和音ではそうはいきません。

調和しないのですから。

しかも他の人に合わせたくなるのが人の性。
他の人の声についついひきづられてしまったりします。
人の声は耳で聞いた音が出す音に影響しやすいので大変です。

しかもちょっとでもずれた音を出せばその集合はきたない雑音。

一人ひとりが自分の出すべき音をしっかり正確に出すことによって初めて不協和音が成立します。

本当に大変な練習が待っていました。
しかもまだ経験が浅い私たちには完成の姿をイメージすることもできず、大変なばかりの練習。

しかしです。

完成した時、その音の集合はものすごいエネルギーを発散したのです。

音が強くひとつひとつの色を強めながら大きく飛び散ったのです。

それはうれしいとか悲しいとかいった言葉を超えた深い心の奥の感情を揺さぶる音でした。

ふつうのハーモニーにはない強い力を持った美がそこにはあります。

こういった姿は人の生き方にも言えるのかなと先ほどのCDを聞いていて思いました。
一人ひとりが正しく自分のするべきことをするならば、その一人ひとりの集まりは、ただ調和しようとする集まりよりも神々しい光を放つのではないか。

一生懸命自分をやりたいなと思いました。

自分勝手の薦めではありません。
自分だけができればよいのではなく、全員がそれぞれの自分のやるべきことを正しくしっかり果たしてこそのエネルギーです。
より高度なチームワークと言えるでしょう。

そして、それができる個がふつうのハーモニーを奏でる時、それはゆとりある美しいハーモニーになります。とても心地よいハーモニーです。それこそが本当の調和ではないでしょうか。

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心のバックナンバー18:力を抜いて

18 力を抜いて

力を抜く――これって一番難しいことなのですね、実は。

ラクをするのはみんな大好きなのに、どうして力が入ってしまうのでしょうね。
疲れてしまいますよね。

驚かされるのは「書道をやると肩が凝ります」という方がたくさんいらっしゃることです。

中には筋肉痛になったなんていう話もあって本当に驚きます。
実際教室で一番注意しているのは「肩に力が入っていますよ」とか
「手首の力を抜いてください」
です。

初めて言われる時はみなさん意外な顔をします。

書道は息を止めて力いっぱい線を引く、と思い込んでいる方が圧倒的に多いのです。

でもそんなことをしていたら時には一日何十枚も何百枚も書く書道家さんたちは酸欠になってしまいます。
筆は弾力があって、そのおかげで一本の筆が多彩な線を生んでくれるので、力を入れてこすりつけてはダメなのです。

それに誰でもせかせかしたり苦しそうな何かを見るより、ゆったりとしたものを見る方が気持ちがいいでしょう?

書の線も同じです。
スピードの問題ではなくモーションにゆとりがあったほうが見ていて気持ちのいい線が生まれるのです。

それは多分書道だけのことではなくてみなさんがご存じの何か、テニスでもゴルフでもスケートでもダンスでも部分的に硬直させたり負荷をかけることはしない方がうまくいくのを思い出してください。
もしまだうまくいった経験がなくても、上半身の力を抜いて、とか手首を動かさない、とか先生に言われたことがあるのではないでしょうか。

筆の持ち方は、まず上体をまっすぐのばしてリラックス。
筆は箸を持つ要領で筆管の上の方を薬指に載せます。
そうすると掌は自然なふくらみをもっていますね。
その状態を保ったまま墨をつけて運びます。手の甲はのばさないように。
腕から手の甲が一直線になる持ち方だと急に腕に力が入ります。
あくまでも手首から先は力を入れないでください。

書き始めると急に掌をギュッと握ってしまう方がいらっしゃいますがそれはNG。

よく卵を掌で包んでいるつもりで、と言われますが、ある先生は
「みんな生卵だと平気でつぶすから『ひよこがいるつもりでやさしく』と言うのだ」とおっしゃっていました。

それはいい!と思ってさっそく実行。

たしかに卵と言っていた時よりやさしくなりました。
但し大抵は、です。
中には気づいたらギュッと握ってしまっていて、そこにいるかわいそうなひよこを想像したのがトラウマに・・・というくらい頑固に握ってしまう人もいましたから良し悪しでして・・・。

椅子に座って書くときは腿をくっつけて座ってください。
足がだらしないと上体がピシッとせず、やはり手だけに力を入れて書くことになります。
私は右足を少しだけ引くようにしています。
これは包丁をもって料理する時と一緒で自然な状態で長い間右手を動かすことができるからです。
見た目もきれいになりますからおすすめですよ!

正しい姿勢で線がひけるとスカッとします。書の稽古は疲れることじゃなくって気持ちのいいものです。多くの方に体感してほしいなあ。

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心のバックナンバー17:豊か(後半)

17 豊2

さて思っていると叶うもので、初めてアートフェアに出展する機会を得たのがベルギーでした。

アートフェアというのはギャラリーの見本市なのでアーティストが自分でエントリーすることは基本的にはできません。
ですから今回の出展もギャラリーが私の作品を出そうと思わないと並ばないわけで、それがベルギーになったというのも運命としかいいようがないのです。

アーティスト自らが会場にいなければいけないこともないのですが、今回は初めてということで勉強のつもりで現地に行くことにしました。
もちろんベルギーへの興味もありましたから。

いつも通り、あくまでも目的地のゲントにフォーカスして調べていました。
ところがKLMからのチケットが,
帰国の際はアントワープからアムステルダムに出て日本へ。
というルートに変更になり、これまた偶然にもアントワープへ行くことになったのでした。

そんなわけで移動のために生まれた空き時間を利用してノートルダム大聖堂のみならずホーボケン村まで行ってネロが毎日牛乳を運んだ行程を4キロばかり歩いてみたりもできました。

さてさてベルギー人は本当に親切なのか。
第二の疑問を検証しましょう。

答えは簡単。イエスでした。どこへ行っても実に快適に過ごせました。

一番印象に残っているのはトラムでのこと。

着いたのは夜。
真っ暗な中、駅からタクシーでホテルに行きましたが、翌日はトラムに乗ってみることにしました。
「ホテル出たらすぐ乗り場だよ」と勧められて向かうと、本当に近く、しかも目の前に乗るべきトラムがとまっています。
乗り場の名前も見ずに飛び乗ってしまいました。

そう、乗り場の名前も見ずに。

その失敗に気づいたのは夕方帰るときのトラムの中。
何番のトラムに乗ればいいかは聞いていたけれど、どこで降りたらいいかわからない。
ホテルの周りの景色もまだちゃんと見ていない。

どうしよう・・・。

町の詳細な地図ももらったけれど、トラムは線がひいてあるだけで乗り場の印も名前も書いてありません。
真っ青になりながら必死で地図をながめますが、オランダ語の名前は記号みたいに見えてくらくらします。
どうにかこうにかホテルの前の通りの名前をみつけて「きっとこれだ!」とやまをかけ、トラムが止まる度に必死で電光掲示板を見ていました。
目指すは

ファイフワインドホウスシュロラアトという名前。

とても初めてで聞き取れる名前じゃないし、合っているかもわからない・・・
が、はっと見ると今書いてあるのがその名前のようです。
扉が閉まる間際に地図も広げたままあたふたと飛び降りました。

セーフ!!!

ところがトラムは発車しません。

何かな?と思いながらもホテルの方角を探してホームを歩き始めました。

ちょうどトラムの先頭あたりに来た時、運転手が扉を開けて手招きしました。

周りには私しかいないので近づくと、「ここでいいの?」と聞かれます。

わからないので「ホテルはここです。」と地図を見せました。

するとじーっと眺めた後、運転手さんは「よしっ!」と頭を振り、安心してトラムを出発させたのでした。
その間トラムの中に「はやくしろ」なんてせかす乗客は一人もなく。

そんなことをいろんなところで体験し、「ゆとり」について考えさせられました。
急いで走っている人やカリカリした人を見なかったなぁ。
本当に印象のいい国でした。

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心のバックナンバー16:豊か(前半)

16 豊

アントワープのノートルダム大聖堂の奥「キリスト降架」という大きな絵の前に小さな机があって、ここに各国語に訳されたちょっと変わった説明があります。

「日本ではこの『キリスト降架』の絵については、誰でも知っています。その理由は何世代にもわたる日本の人々が、アントワープの大聖堂で起こった物語について知っているからです。それこそが、日本の天皇皇后両陛下が、1993年にアントワープを訪れ、この絵の鑑賞に熱心であった理由なのです。」

もちろんその物語とは「フランダースの犬」です。
ネロが死ぬ間際にやっと見ることができたルーベンスの大作がこの絵なのです。
この文の続きにはネロとパトラッシュの物語の要約まで書かれています。実際に起こった事件でもないのにどうしてこんな説明書きがあるのでしょう。

実は「フランダースの犬」は舞台となったベルギーではほとんど知られない存在だったのです。
作者はイギリス人でベルギーに住んだことがあることからこの小説がうまれました。

10年くらい前にたまたま見たテレビ番組で我が家はとても盛り上がりました。

実は「フランダースの犬」を目的に訪れるのは日本人だけらしいというウワサを検証しよう。

という特集でした。
「大聖堂には日本語が書かれたステンドグラスがあるらしい。興ざめ・・・」という観光客の声がひそかに有名になったころでした。
町の人々へのインタビュー開始。
会う人会う人にマイクを向けて
「フランダースの犬を知っていますか」
と質問していくのです。

結局知っている人は少しもいませんでした。

そして理由が素晴らしい。

現地の人のコメントはこうでした。

「ベルギーではこんな困った人を放って死なせるようなことはありえません。」

そう。あまりにも非現実的で共感が持てないというのです。
ある時期から急にアントワープへの日本人観光客が増え、来る人来る人がそろって「ネロの絵はどれですか」「ネロの家はどこですか」と聞くのでベルギー人が興味を持ち、とうとうネロの暮らしていたホーボケン村にネロとパトラッシュの像が建つまでになり、ベルギーでも「フランダースの犬」の翻訳が出版されることになったそうです。

そういう変わったエピソードからノートルダム大聖堂の説明書きが生まれ、今ではさらに他の色々な国でも翻訳が出されているそうです。

番組を見た後「いくらなんでも全然知らないなんて・・・」と思った私たちはベルギー人と出会う機会がある度に必ず「フランダースの犬を知っていますか」と聞くことにしました。
すると、本当に一回も会わないのです!!
「読んだことがない」ではなくてタイトルすら知らないのですから。

テレビが編集でカットしたのでは?という疑問も吹き飛びました。
そして何なの?という質問をされてストーリーを話すとやはり今ひとつピンとこない反応が返ってくるのです。

実際、質問したベルギー人もみんな印象がよかったので、フランダースの舞台というよりも親切な国としてのベルギーに今度は興味を持つようになりました。
(つづく)

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心のバックナンバー15:寄り道

15 寄り道

私とスポーツが結びつく方というのは少ないようです。

もっというなら書道以外で何かできるというだけで「えーっ?」と言われる始末。

でもどの種目も嫌いではなかったし、結構楽しめる程度には参加して、リレーの選手も何度かあったりします。バトンの受け渡しが怖くて応援している方が楽しいのに、と思っていたくちですけれど。

ところが一回だけ何のプレッシャーもなく気安く走ったことがありました。
小学校一年生のときです。
しかも紅白リレー。すなわち学年代表。
5クラスもあったというのに。
今でも自分がそんなに速かった記憶がないのですが、選ぶために体育館の中で何度も走らされた時の映像は頭に残っています。

そして当日の記憶も。
忘れようにも忘れられないレースでした。

私は赤組。大きい子と小さい子が交互に走っていくシステムだったらしく(この辺はあいまいです)赤組の大きい子から大差をつけてバトンを渡されました。

「バトンをもらったら走る」

生まれて初めてのリレーで、これしかインプットされていなかった私は走り始めました。

でもたった一人だし後ろの子はまだ走り出してもいません。

広いレーンをあっちこっち眺めながらとろとろ走り、後ろからくる白組代表、同じクラスの「しょう子ちゃん」をにこにこしながら振り返ったりしていました。

しょう子ちゃんは半周も後ろに小さく見えます。

私は気ままも気まま、何レーンも横切って蛇行している姿は応援席からどう見えていたのでしょう。

カーブに差し掛かったとき後ろから猛烈な勢いで走ってきたしょう子ちゃんの胸を突き出したフォームは今でも鮮やかに思い出されます。
白いはちまきをたなびかせ、私の1メートルいや2メートル内側を迷いなく走り抜けて行きました。

そこでようやくスイッチが入って追いかけましたがとても追いつくことはできませんでした。

上級生たちがあきれたり怒ったりしていた空気はなんとなく感じましたが、それが何なのかよくわからないまま終わってしまいました。家に帰ってからリレーの意味や私の失態の説明を聞きました。

残念ながら二度と紅白リレーに選ばれることはありませんでした。

その後のどんな運動会でもあんなにばかな動きをしている子は見たことがありません。

どれだけボーっとしていたかがうかがいしれます。
でも、ボーっとしていても普通の子はまっすぐ走るのだろうなあと思います。

そしてある日思ったのです。

今でも私変わってないな、と。

自分にしっかり戒めていないと横道に逸れてしまうくせ。考え事をしてしまって歩みが遅くなり余裕だったはずの電車を乗り過ごしてしまったことも数知れず。

美術の時間に一人だけまったく違うアプローチの絵を描いていたこともありました。
できあがり間際に周りを見て気がついて顔が真っ赤になってしまったっけ。

ボーっとしているというよりスイッチが故障気味なのかもしれませんね。

振り返ればそんなことばかりでした。
学校帰りの寄り道は毎日のこと。
旅先でも人生設計でも寄り道ばかりです。
事前の計画を入念にした時ですら、気がつくと違う道を歩いている自分。

時々心配してくれる人もいるけれど、そんな時に目にした風景の方が鮮明に生き生きと記憶に残っているから不思議です。
リレーでは大勢の人にひどい迷惑をかけてしまったけれど、やっぱり私にはかけがえのない経験になっています。

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心のバックナンバー14:手紙

14 手紙

最近便箋を買う時に困ることが多いです。

小さかったり、封筒に対して便箋の枚数が少なすぎたり。
だから、気に入ったデザインのものをすっきり買うことはほとんどできません。

パソコンの手紙が増えたということなのでしょうか。
でも、次々と新しいデザインがお店の棚を飾ると言うことは根強いファンもいるということなのでしょう。

手紙の魅力は、ひとつには封筒ひとつとっても、便箋ひとつとっても、インクの色から封緘、切手に至るまで、出す人の好みが表せるということでしょうか。

人となりが出てしまうということかもしれませんが、いずれにしても、ひとつとして同じ手紙はありません。

ポストを開けたときにチラっと見えたハガキの柄だけでパッと心が明るくなったことはありませんか?
疲れて帰ったからだの重さを忘れさせてくれるような一瞬が。

それにもまして最大の魅力は手書きの文字ですよね。
同じ人からでも急いでいたり、ゆっくりよく考えながら書いているなとわかったり、色々な姿が見えてきます。

手書きは嫌だからメールで済ませてしまう、という声もよく聞きます。
書道教室に通う人ですら多いのです。
それはみなさん「字が下手だから」という自信のなさからおっしゃいます。

「下手だから先生には出しにくいです」と言われることもあってとても残念に思います。

でも正直なところ、そういう意味では私自身も自分の字を見てがっかりすることが今でも度々。
まったく他人事ではありません。
なんだか自分という人間の悪いところを全部見せつけられているような気がするほどです。

ところがです。

手紙をいただいた時にはうれしい発見をすることばかりなのです。
これは本当に不思議なことですが、
初めて手紙をいただいた時に「あの方はこういう字を書かれるのか」と意外に思うことがけっこうあります。しかもそれはたいていうれしい発見なのです。

私は人一倍文字に何かを感じる方かもしれませんが
そこにネガティブなものを見ることはなく、その人の知らなかったよさに気づかされることが圧倒的に多いのです。

だから、下手だからと思い込んで手紙を出さないのはもったいないと思うのです。

そんな気持ちで気にしながら書いていること自体とってもかわいいと思いませんか?
上手いか下手かを気にするなら練習をすれば誰でも上手になることができます。これは自信を持って断言します。でも、ものすごく練習して同じお手本の字をいくら完璧に写すことができるようになった人ばかりの字を並べても、やっぱりどこか違いがでてしまうのです。

それがその人であり、個性ですよね。

上手いとか下手なんて気にせずに手紙を書いてみませんか。
メールみたいにすぐ返信がきたりしません。
メールよりたくさん時間がかかります。
力が入って手も痛くなるかもしれません。

でも、前に会った時の顔など思い浮かべながら、ゆっくり丁寧に書いてみましょう。
丁寧にたたんで丁寧に封をして。
それだけでも幸せな気分になると思います。

忙しい方こそ、ちょっと贅沢な時間を作ってみてはいかがでしょうか。

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【Kinkoちゃん随筆】 書家・美術家 金子祥代 https://www.kinkochan.com/
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