しばらく朝の連続小説にはさっぱり興味が湧かなかったのが、「ゲゲゲの女房」は毎日見てしまいました。
別に朝8時に変更になったからではなくて、のんびり明るい雰囲気がわざとらしくなく爽やかで、実話だけに説得力もあってついつい次を待ってしまいます。
辛いことの連続なのにグッと受け入れるシゲルさん。
ここぞの時には一本の手で相手を突き飛ばしてでも筋を通す。無愛想なのに愛情が伝わってくる姿。
現代劇特有の神経質なギスギス感が全くなくて、無理やりひきつけるための目をそむけたくなるような過激なシーンが入ることもない。
最近はやりの昭和が舞台だからでしょうか。
平成に入って随分たち、いつの間にか昭和生まれが昔の人扱いになっています。大正や明治生まれになんてなかなか会えなくなってしまいました。
昭和レトロだとか、人情味のあるいい時代とか、いつの間にかとってもいい時代としてひきあいに出されることの多い昭和。
でも、シゲルさんの時代、漫画を読むなんていう若者は
「まったく今の若いやつは漫画みたいなもん読んで」
と言われていたのです。
そしてそのシゲルさんの描いた鬼太郎がテレビに流れる頃、世間では髪の長い若者が胡散臭く扱われ、
テレビの鬼太郎で育った私たちが大人の入り口に差し掛かった頃、
新人類と呼ばれ、理解不能な世代と言われました。
今に至っては少年少女が何かおかしなことをすると「今どきの子だからしょうがない」とつきはなされるようになっています。
少しずつ呼び方や接し方が変わっても「若いもん」が大人から貶されるのはいつの時代にも起きることなのです。
「いまどきの若いもん」を飛ばして大人になる人なんていないのです。
遠くさかのぼればソクラテスが「今どきの若いもんは」と嘆いた記録が残っているくらいですものね。人類は自分の失敗を忘れる生き物なのでしょう。
私の人生の前半は昭和だけれど、あの頃、昭和がそんないい時代だなどと思わなかった。
それが大人が振り返り始めると甘酸っぱい時代に変身するのですね。
シゲルさんとシゲルさんの女房の繰り広げる物語に魅力があるのは昭和だからではなくて、人柄のおかげだと思います。
職場でもあるのではないでしょうか。
たまたま若い人が失敗すると「今どきの若いもんは」と一言で片付けられてしまうこと。
悔しいですよね。
若い側もそうでない側も世代でくくるなんて意味がないのに。
どうか若い人は、嫌なことがあった時に時代のせいとか、大人を恨むとかしないでください。
「どんな若いもんだったのだろうなあ、この人は」なんて思うようになったら楽しいですね。
大人は「今どきの若いもん」を個別に観察してください。
悲しい習性のせいで小さい可能性がつぶれてしまわないように。
生まれてくる時代を選ぶことなんてできないのだから。
なんてえらそうなことを言いながら、平成のアニメ鬼太郎のハイテンポでからりと明るい戦闘ものみたいになったのに落胆し、ひたすら暗くてじんわり怖い中にユーモアと正義を感じさせてくれたあの鬼太郎を愛する昭和生まれです。
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